第11章146偈
何の笑いがあろうか。
何の歓びがあろうか?
―世間は常に燃え立っているのに―。
汝らは暗黒に覆われている。
どうして燈明を求めないのか?
中村元博士訳
解説
この句は、解説しなくてもお解りいただけると思いますが、少しばかり解説させていただきます。
「世間は常に燃え立っているのに」というのは、諸行無常(生まれたものは必ず死ぬ)及び、諸法無我(この世には変わらないものは何一つない)という真理を指しています。生きとし生けるものは、生まれた瞬間から死に向かって歩み出します。自分だけは元気で変わらない存在でいて欲しい願うのでしょうけれども、自分という存在も川の流れのように留まることなく流れ続けているのです。それなのに何故楽しげに笑い、歓んでいるのですか。
「暗黒に覆われている」は、自分の手足さえも見えない暗闇の中にいる状態、即ち「諸行無常」「諸法無我」という真理が見えない状態のことです。暗闇の中にいながら暗黒であることを認識できず、燈明(真理を見る智慧)を求めようとしないのです。うかうかしていると死んでしまうのに。早く、仏の教えを学び、真理を観る知恵(燈明)を求め獲得してください。
私たち現代人は、無常、苦、無我については考えないようにし、享楽を求めることが人生の目的であると錯覚し、その他の、学問とか、研究とか、仕事等々は享楽を求めるための手段に過ぎないと考えます。「人生は短い、人生は楽しむ為にあるようなもので、死など考えない方が幸せである。」と、恥じらいもなく、どうどうと人生哲学を吹聴する人まであります。私たちは、生まれてから刻々と死に向かって歩んでいます。これは紛れもない事実であり真理ですから、逆らうことはできません。では、どのようにして生きて行けばよいのか。ブッダは、「一刻も早く、諸行無常、諸法無我の真理を理解し納得する智慧(燈明)を得る(=悟りを得る)よう励みなさい。」と戒められております。 kenyu.o
クシーナガラ(涅槃の地)の荼毘塔(ラーマバール・ストゥーバ)
2018.11.20撮影
