第9章128偈

 

  大空の中にいても、

 大海の中にいても、

 山の中の洞窟どうくつに入っても、

 およそ世界のどこにいても、

 死の脅威きょういのない場所は無い。

                          中村元博士訳

 

 

 

  解説

 

 この法句は、解りやすい言葉で翻訳されておりますので、誰でもお解りいただけるのではないかと思います。要するに、生きとし生けるもの全ては、死の脅威から逃れることはできないということです。火星に移住しても、地中或いは海中深くのカプセルの中に隠れても、死から逃れられる安全な隠れ家は存在しないのです。生あるものは、100パーセント必ず死ぬのです。

 私は、大学在学中に、宗門で定めた僧侶(教師)の資格を取るための修行をし、更に大学卒業後は寒百か日の大荒行という修行をし、僧侶となって久しいのですが、自分の死の間際を想像すると、「断末魔の苦しみ」という言葉もあるように、正直なところやはり恐怖です。私はまだ生存への執着を断ち切れないでいるのです。人間は、死につつある存在だということは解っているのですが、悲しいことに未だ煩悩まみれの凡夫で、死の恐怖を克服できないまま生きているのが現実です。

 日蓮聖人は、「人は生れて死ぬる習いとは、智者も愚者も、上下一同に知りて候えば、始めて嘆くべし、驚くべしとは覚えぬ由、我も存じ人にも教え候えども、時に当りて夢か幻か、いまだわきまえがたく候。」(上野殿後家尼御前御返事)と仰せられております。

 生から死への瞬間は自分では自覚できないのです。夜に寝て、朝に目が覚めなければ死なのですが、このように死ぬことができれば最高に幸せと言えるでしょう。

 断末魔の苦しみや、自分の存在が消えてしまうことへの不安、根本的には、生への果てしない執着が死への恐怖をもたらしているのではないでしょうか。

                                 kenyu.o

 

 

 

 

  

     2018.11.18 撮影 瞑想洞窟 霊鷲山(ビハール州)