第8章115偈

 

  最上さいじょうの真理を見ないで

 百年生きるよりも、

 最上の真理を見て

 一日生きることのほうが

 すぐれている。

                         中村元博士訳

 

 

 

 

 

  解説

 

 この法句は、易しい言葉で翻訳されておりますので、分かったような気がしますが、しかし、ここで「最上の真理」とは何かと考えて見ますと、よく分からなくなります。及川博士の「仏の真理の言葉註」を見ますと、「ブッダが説いた法(教え)」となるようです。ですから、「最上の真理を見ないで」とは、「ブッダが説いた法を、見ないで、考えないで、実践しないで」ということになるでしょうか。具体的には、単純過ぎるかも知れませんけれども、仏の真理の言葉(法)見ないで、考えないで、実践しないで、と言ってもいいかもしれません。そこには、諸行無常しょぎょうむじょう諸法無我しょうほうむが一切皆苦いっさいかいく四諦したい八正道はっしょうどう等々の真理が説かれております。要するに、この偈は、この法(真理)を見、考え、実践することもなく百年生きるよりは、この法(真理)を見、考え、実践して、一日生きる方が勝れているということを説いているのではないでしょうか。

 法華経の如来寿量品にょらいじゅりょうほん第十六に「良医病子りょういびょうし譬喩ひゆ」と呼ばれる譬喩があります。

父(医師)が留守の時に、子供たち(大勢)が誤って毒薬を飲みもだえ苦しんでおりました。そこへ父が帰ってきまして、早速に良薬を調合し、その苦しんでいる子供たちに飲ませようとするのですが、本心を失っている子供たちはその良薬りょうやくを飲もうとしません。子供たちをなんとかして救ってやらねばと思った父は、方便ほうべんを設けて、次のような言葉「汝等なんだちまさにに知るべし、我今衰老すいろうして死の時すでに至りぬ。このき良薬を今とどめてここく。なんじ取って服すべし、えじとうれうることなかれ。」を残して他国に旅立ちます。そして旅先から、使者を使わして「汝が父死せり」伝えます。子供たちは、なげき悲しみながら、父の慈悲を思い、その良薬を服用しましたので、その毒の病は平癒へいゆしました。それを聞いた父は帰国し、共に喜び合ったという譬喩です。

 「最上の真理を見て」は、この法華経の譬喩と重なるところがあるように思います。薬を服用すること、即ち実践することが大切なのかなと思いますが、皆様はいかがお考えでしょうか。

                                                                                              kenyu.o

 

 

 托鉢僧 スジャータスゥパ遺跡地内 2018.11.17撮影