第7章95偈
大地のように逆らうことなく、
門のしまりのように慎み深く、
(深い)湖は汚れた泥がないようにーー
そのような境地にある人には、
もはや生死の世は絶たれている。
中村元博士訳
解説
中村博士の訳を私なりに簡略に言い換えてみますと、「大地のように、踏まれて
も、怒らず逆らうことなく(oxford訳は、not oppose)、門のしまり(友松博士は
門閾と訳しております。閾は、門の下部に在って、扉をとめ、内部と外部とを分け
る横木、即ち敷居のことです。及川博士は、王柱と訳しております。oxford訳は、
a firm pillarとなっております。)のように慎み深く、深い湖の澄んだ水のように清
らかな(oxford訳は、a lake rid of mud)、そのような境地にある人は、もはや生
死の世は絶たれている(生死を繰り返すこと、即ち、<輪廻転生>することはな
い)」と、このようになるでしょうか。
もう少し詳しく説明してみたいと思います。「怒らざること大地のごとし」とい
う表現もあるように、大地は、踏みつけられても、糞尿で汚されても、香や花を
捧げられても、平然としております。大地は、忍耐と寛容の表徴でもあります。
「門のしまりのように慎み深く」というのは、門閾や王柱や城門柱は忍耐強く、
よく務めるということで、戒律を遵守するということを意味しています。そのよう
な人は、汚泥を離れた澄んだ湖水のようであります。
戒律は、仏教徒が守るべき行動規範です。出家者と在家者、或いは出家者の男女
の違いによって、戒律の数が異なります。「生死の世は絶たれている」とは、輪廻
転生即ち生死を繰り返すことはない、という意味です。これは、悟りを開かれた仏
様のことであって、まだ悟りを開けない凡夫は六道を輪廻転生するのです。輪廻転
生とは、生き死に、死に生きして、何度も六道を経巡ることです。六道とは、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六の世界です。この輪廻転生説は、ブッ
ダ 以前から信じられていた説で、ブッダはこの説を取り入れ、輪廻転生は苦であ
り、この輪廻の輪から脱し、安らぎの境地を得るための修行方法を説かれました。
それがスッタニパータや法句経等々の教えなのです。 kenyu.o
飛鳥大仏(国重要文化財)
奈良明日香村 飛鳥寺本尊 2016.4.5撮影