第6章76偈
(おのが)罪過を指し示し
過ちを告げてくれる
聡明な人に会ったならば、
その賢い人につき従え。
ーー隠してある財宝のありかを
告げてくれる人につき従うように。
そのような人につき従うならば、
善いことがある、悪いことは無い。
中村元博士訳
解説
この句をこのままの順序で、語句を解説しながら書き直しますと、「私自身の罪
や過ちを具体的に指し示し、教え諭してくれる聡明な人に会ったならば、その賢い
人に随え(中村先生は<従>という字を使っていますが、私の勝手な考えで恐縮であ
りますが、<随>の方が分かりやすいのではないかと思っています。随は、目上の人
の後について行く、お供をする、という意味ですので。)なさい。ーー隠してある
財宝のありかを教えてくれる人に随って行くように。そのような人に随うならば、
善いことがあっても悪いことは何一つない」というような表現になるでしょうか。
たとえお世辞や嘘であると分かっていても、褒められ評価されると嬉しいもので
す。相手が自分のことを思って言ってくれているのだと分かっていても、忠告され
たり痛いところを指摘されたりすると気分が悪いものです。ましてや、自分が何も
悪いと思ってもいないことや、考えたこともない欠点を指摘されたり、諭されたり
すると腹が立つだけではなく、怒りがこみ上げ、相手を憎んだり恨んだりさえしま
す。これは、重心があくまでも自分にあるからです。道を学ぶ者は、重心を相手の
方に置かなければなりません。道を踏み外さないように忠告し、教え諭してくれる
人、それが善き友であり、善き仲間であり、善知識(仏の教えを説き、仏の道に入
らしめ、悟りへと導く人・賢者・師)なのです。善知識の声に素直に耳を傾け、誤
りを正し、その善知識と行動を共にすることが悟りへの近道なのです。
日蓮聖人は「仏になる道は善知識には過ぎず。我が智慧何かせん、ただ温寒計り
の智慧だにも候ならば善知識大切なり。」(三三蔵祈雨事)と仰せられておりま
す。 以て心に銘ずべきでありましょう。 kenyu.o
ブッダガヤ ホテルロビー御宝前の初転法輪像
2018.11.16撮影
