第4章50偈
他人の過失を見るなかれ。
他人のしたことと
しなかったことを見るな。
ただ自分のしたことと
しなかったこととだけを見よ。
中村元博士 訳
解説
分かりやすいことばで翻訳されておりますので、解説しなくても理解できそうで
すが、もう少し易しく表現してみますと、「他人の過ちを見る(意を注ぐ)ことな
かれ、他人の為したこととと、為さなかったことを見る(意を注ぐ)な。ただ自分
の為したことと、為さなかったことだけを見(想い)なさい。」となるでしょう
か。
「人の不幸は蜜の味」という俗な諺がありますが、とにかく、他人の過失はよく
見えるものです。いや、他人の過失を何時も探しているのかも知れません。他人の
過失を見つけ、自分と比較して、自分の方が優れていると思い、幸せな気持ちにな
っているのかも知れません。これは、諸行無常(この世の中には変化しないものは
何一つ存在しない)という真理を知らないことからくる煩悩なのです。自分など存在
しないのに、自分が独立して存在しているかのように思い、その自分に執着し、そ
の自分を愛して止まないのです。仏教では八万四千(正確に八万四千という数では
なく、数えきれないほど数が多いという表現)の煩悩があると言いますが、この煩
悩に惑わされて生きているのが人間です。人間はこの根源的な苦しみを抱えて生き
ていかなければならない悲しい存在なのです。この煩悩(際限のない欲望)からの
解放、即ち苦を滅す方法を説いたのがブッダなのです。法句経のような初期仏典
も、法華経のような大乗仏典も、悟り(苦を滅した平安な境地)へ到達するための
方法を説いたものに他りません。
次に、「自分のしたこととしなかったことだけを見よ」は、自分が身体的に為し
たこと為さなかったこと、或いは、心で思ったこと、思いとどまったこと等見つ
め、その為したこと、思ったことが煩悩から生じたものではなかったか、よく観察
し、もしそうであれば、その煩悩の束縛を断ずる修行に専心しなさい、ということ
あろうと思います。
スッタニパータ(中村元博士訳)の62偈に「水の中の魚が網を破るように、<
中略>、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め」と
あります。以て銘記すべきでしょう。
k.oyamada
早朝のガンジス河(ベナレス)の朝日 2018.11.15撮影