第2章23偈

 

  

  (道に)思いをこらし、

  しのぶことつよく、

  つねにたけ奮励ふんれいする、

  思慮しりょある人々は、

  やすらぎに達する。

  これは無上むじょうの幸せである。

              中村元博士訳

 

 

 

 

 

  解説

 

  仏教の最終目的である悟り(安らぎ、安穏、一切の苦しみから解放された境地) 

 を得るには、先ずは、心を落ち着け、その悟りに至る方法を思索しなければなりま

 せん。心と体と呼吸を整え、深く思索し続けると三昧という精神の安定した境地に 

 なります。心がフラフラしたり、騒いでいては駄目です。基本的には「座禅瞑想し

 て三昧に入ります」が、これが仏教の六度<六つの実践徳目>の一つであります 

 <禅定>です。「耐え忍ぶこと」は、<忍辱>で、「健く奮励する」は、<精進>

 で、「安らぎに達する」は<智慧>です。ここでは、<布施>と<持戒>が省略さ

 れていますが、先ずは全部でなくとも、六度のどれか一つでも、頭で理解した知識

 を実践により、心身で納得し、智慧にまで発展させることが大切です。

  即ち、悟りは、教えを頭で理解し、身体で実践してはじめて体得されるものだと

 思います。

  日蓮聖人は、弟子日朗上人へのお手紙の中で、「色心二法共にあそばされたるこ

 そ貴く候へ」(土牢御書)と教示されております。色心とは、身体と心ということ

 です。ブッダの許で修行していた自分の名前さえ覚えきれない愚鈍なパンダカが、

 ブッダのご教示の通り、「塵を払い、垢を流す」と唱えながら掃除に専念し、遂に

 悟りを得たという説話があります。悟りというのは、頭(心)だけの理解ではな

 く、また身体だけの理解でもなく、身体と頭(心)が一体となった包括的な理解 

 (悦明は難しいのですが、部分的な理解ではなく、全体が在りのままに、そのまま

 に判るというようなこと)ではなかろうかと思います。理解を深めるために、法句

 経解説7を参照して頂ければ幸いです。

                                           kenyu.o

 

 

 

 釈尊絵伝「涅槃」(野生司香雪画/仏教伝道協会蔵)