第1章15偈
悪いことをした人は、
この世で憂え、来世でも憂え、
ふたつのところで共に憂える。
かれは、
自分の行為が汚れているのを見て、
憂え、悩む。
中村元博士 訳
解説
悪い行ないをした人は、その悪事が明るみに出ないかといつも心配しておりま
す。自分の悪い行ないを反省して、心はいつも不安におののき恐れるのです。
また来世でも、悪因悪果の因果の法則によって、苦の果報を受け苦しみ憂える
のです。このように、現世と来世の二つの世界で共に苦しみ憂え、また自分の行為
が汚れているのを見て、憂え、悩むのです。
悪い行ないとは、どのような行ないでしょうか。多くの人は常識的に知っている
ことであり、悪い行ないの具体的な例を幾らでも挙げることができるでしょう。
ここでは、仏教ではどのように定義するかについて考えてみたいと思います。
仏教には五戒という基本的な戒があります。五戒は、一般信徒の守らなければなら
ない戒(出家者には、二百五十戒以上の別の戒がある。)ですが、広い意味では、
一般信徒であろうが、出家者であろうが最低限守らなければ基本の中の基本の戒と
いうことができるでしょう。
五戒とは、不殺生戒(生き物を殺さない)、不偸盗戒(他人のものを盗まな
い)、不邪淫戒(邪な性関係をしない)、不妄語戒(嘘を言わない)、不飲酒戒
(酒を飲まない)のことです。この五戒に反する行いが「悪い行ない」ということに
なります。平川彰博士は「一般に戒律と言いますと、外から束縛する禁止的な規則
のように考えられておりますが、これは律の方であって、戒は外部から我々を束縛
するものではありません。むしろ我々の心のなかにある善いことをなそうとする
『自発的な精神』であります。・・・戒という言葉のもとの意味は『習慣性』とい
う意味で、つまりわれわれが嘘をいわないような習慣を身に着つけること、あるい
は生きものを殺さないという習慣を身につけること、これが戒のもとの意味であり
ます」と述べておられます。(「生活の中の仏教」春秋社)
もっと基本的に根元的に言いますと、「悪い行ない」とは、貪(むさぼり)、瞋
(いかり)、癡(無智)の煩悩に汚された行いということができるでしょう。
(「煩悩」については「法句経解説1」をご参照ください。)
kenyu.o
釈尊絵伝「成道」(野生司香雪画/仏教伝道協会蔵)