第1章2偈

 

   ものごとは心にもとづき、

 心をあるじとし、

 心によってつくり出される。

 もしもきよらかな心で話したり

 行ったりするならば、

 福楽ふくらくはその人につき従う。ーー

 かげがそのからだから離れないように。

                                   中村元博士訳

 

 

 

  解説

 

  すべての行為(業・karmanごう・カルマ)は、心(manasマナス)によって作りだされます。清らか

 な心で話したり、行ったりすると、それが善因ぜんいんとなり善果ぜんかを招きます。これは善因

 善果、悪因悪果あくいんあっか因果いんがの法則を述べたものです。「影がそのからだから離れないよ

 う に、善因は100パーセント確実に善果を招きます。善果は福楽ふくらく(安楽、幸福)

 そのものです。

  日蓮聖人は「衆生の心けがるれば土も汚れ、心清ければ土も清しとて、浄土といい

 穢土えど(汚れた国土)というも土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によると見

 えたり。」(一生成仏抄)と教示されております。要するに、我々個人個人の心が

 汚れていれば我々の住む国は汚れた国になり、我々個人個人の心が清ければ我々の

 住む国は清い国になるということです。

  清らかな心とは、ごくごく一般的には、「優しい心、親切な心、正直な心、温か  

 い心、いつくしみの心」といった心、と言ってもよいか思います。が、・・実は、これ

 は、相対的な心であって本当の清らかな心とは言えないのです。本当の清らかな心

 とは、無我むがとか無心むしん言われるような心なのです。これは、何ものにもとらわれない、

 執着しゅうじゃくしない、悟りを開いた仏様の心なのです。ですから、我々凡人がそのような

 心に成ることは難しいのです。ですから、仏様の「清らかな心」を目指しつつ、前

 述したごくごく一般的な「優しい心」等々で人に接していけば、自然に仏様の心に

 近づき、やがては仏様の「清らかな心」に成れるのではないかと思います。

                                                                                               kenyu.o

 

 

  The repletion

      〇All existence is created by the mind(=Skrt.manas)

 

 

 釈尊絵伝「降誕」(野生司香雪画/仏教伝道協会蔵)