(家のこととは関係のない内容です。他界した父のことになりますので、ご了承の上、お読みください。)

 

 

8/26夜遅く、病院から電話がありました


 

どうしても間にあいたくて

父を一人っきりでいかせたくなくて

ほとんど何も準備しないで車で向かいました

 

 

病院から「母が電話に出ない」と聞き

震える手で何度もかけましたが、応答はなく

 

 

夜の高速道路はすいていたけれど

病棟受付で、間に合わなかった事実を知り

 

 

泣き崩れるって、ああいうことを言うのかな

膝から下の力がカクンと抜けて

「ごめん、間に合わなかった、ごめんね」と

泣きながら繰り返して

 

 

両腕を支えられながら父のもとへ行き

肺炎で辛そうだったはずの呼吸が

静かになってしまった父に会いました

 



 

悲しい対面の数時間前には父のそばにいたのに…

 

 

お昼頃に病院について2時間くらい

いつもは、寝ている父の横で話をしていたけれど

このときは、なんとなく父と並ぶようにすわり

父が眺めている殺風景な病院の天井を

私も同じように見つめていました

もっと見舞いに来るべきだったと後悔しながら

 

 

栄養をとれなくなって3週間以上の時が過ぎ

細く細くなってしまった父の肩や腕

少し熱があったので、

氷枕を敷いてもらっていたけれど

自分の手を水で冷やして

父の額に押しあてて

話しかけて、手をさすって

 

ふと気がつくと、父の目頭に涙が溜まっていて

今までそんなことは一度もなかったのに

どうしたんだろうと思いながらそっと拭きました

 

わたしと入れ違いに病院に来た母も

沢山思い出話をしたそうです

10日ほど風邪で見舞いに来れなかった母

ようやく前日に短い時間だけ会えて

その翌日、長い時間、父と過ごせた

そして、その日の夜の出来事でした

きっと父はギリギリの身体で

ずっと母を待っていたんだと思います

 

 

どうしても、最後のときに一緒にいてあげたかった

でも、優しかった父だから

その瞬間に私が立ちあったら

きっと悲嘆にくれてしまうだろうと

わたしが不在だったことを後悔しないように

面会時間外の夜に

一人、そっと、旅立ったのではないかと

そんなふうにも思います

 

そして、一人で旅立つかわりに

日中、眠ることなく目をひらき

わたしと母に最後の時間をつくってくれたのではと

そう思えてなりません

 

 

そのあとのことは、

時間の流れが長くも感じ、短くも感じ

 

自分で持て余してしまうほどの激しい感情の中

母にかわり、父を見送るための準備をして…

 



 

長らく会っていなかった弟とも再会しました

納棺の日

父にむかって「あの子を呼んでね」と語りかける母に

再会をあきらめていた私は

「お父さんを困らせないで」と止めたのですが

通夜・告別式で

父は再び家族をつなぎとめてくれました

 

「これ以上、彼(父)ができることは

ほとんど残っていなかったけれど

きっとこれが最後の置き土産だよ。」

そう親族に伝えられ

人前で無防備に泣いてしまいました

 



 

昨日、無事、実家に、

小さい箱に包まれた父を連れて帰ることができました

25年前に倒れて以来、

戻ることができなかった家に

自分が図面をひいて建てたこだわりの家に

 

 

人生にはいろいろなことがおこるけれど

強烈な日差しの中、父の病院に通ったこの夏のことは

きっと一生忘れない

長時間の移動は楽ではなかったけれど

その先には父が待っていてくれる幸せがありました

 


まだ1週間前の今日は、父は生きていた

そんなふうに振り返ると

ヒリヒリとする心の痛みを感じ

この先、どうやって

この気持ちに折り合いをつけていけばいいのか

まだわかりません

 

ただ

眠れないかもしれないと思った昨日の夜

若く元気だった父が実家にいるイメージが

ふと浮かんできたのが救いでした

 

 

すべては時間が解決してくれる

父の最後の頑張りを見たのだから

私も私の人生を頑張るしかない

 

 

そう思うようにしています