年が明け2020年、いよいよ本格的に出願準備が始まる。同時並行で論文もあったが。
1月15日、シンガポール国立大学大学院への出願。
ネット出願で本当に出願できるのか不安で、手が震えたのを覚えている。
なにより、前述した様にIELTSの点数が足りていない。それでもダメ元でIELTSのスコアシートを提出し、全ての書類もアップロードして出願完了。
まあこの時点では、もうシンガポール国立大学への夢は絶たれたと思っていた。
そして、次の日には論文を提出。なんとか3万字を書き上げ、期限内に提出出来た。
周りの大学院生は論文で終了だが、自分は建築を専攻していたため、修士設計が残っていた。
おかげさまで、提出後も素直に喜べない自分がいた。
1月18日には2回目のIELTSを受験。
もちろん、初回の受験から一切勉強できておらず、撃沈した。
その後は滑り止めとして出願を予定していたイギリスの大学院4校(リバプール、ノッティンガム、シェフィールド、バーミンガム)に向けて準備開始。
まあシンガポール国立大学の出願書類と対して差異はなかったのはありがたかった。Personal Statementをブラッシュアップし、ポートフォリオを指定の枚数に変更したくらいではあるが、各大学ごとの指定フォーマットへの記入に時間が掛かった。
推薦状を依頼した教授の元へ追加書類を記入してもらいに行くなど、なかなかご迷惑をお掛けした。
1月21日にイギリス大学院への出願は完了。これはイギリスの大学への出願窓口となっているエージェント、BEOが全て出願を代行してくれた。
シンガポールとは違い、必要書類を全て揃えて確認し出願してくれるため、非常にありがたかった。
そして、その後はいよいよ修士設計が始まる。
間違いなく、スタートが遅い。指導教授にどれほど怒られたことか。笑
とは言うものの、海外大学院への出願の比重が大きくそれどころではなかったのが本音である。
修士設計と並行してIELTSの勉強も開始。しかし、修士設計が重いの程進まず、IELTSが、、、。笑
結局2月を迎えた。
2月4日午後、シンガポール国立大学事務室より、出願基準を満たしたIELTSのスコアを提出して下さいとの連絡が来た。もちろん、提出出来るものがない。
丁重に期限の延長をお願いし、返事は了解ですとの事。これはまだ神は見捨てていないぞと思った。
そして次の日、2月5日午前、突然、シンガポール国立大学の教授から面接への招待メールが届く。
IELTSの点数が足りていない自分がなぜ?と思ったが、内容は7日に面接をしますとの事。突然すぎて全く準備をしていなかったのもあるが、修士設計が間に合ってなさすぎて日程を変更して欲しいとお願いした。
それに対して返事は、
それはできません。
今回は縁が無かったという事で。
との記載されていた。
いやいや、それはまずい!!!
すぐになんとか予定をマネジメントするから面接をしてくださいと願い出た。そして7日の朝に面接することが前日に決まった。間一髪セーフ。
メールをひたすらチェックしといてよかった。
面接が決まったのは良いものの、8日にIELTSの受験、10日に修士論文、設計の口頭試問があり、とにかく時間がない。
それでも面接のための服装なんぞ、学校にあるわけもなく、即家に帰宅。そして朝までひたすら面接準備。
そして面接。
意外にも手応えはあった。
IELTSは取れてないけど、君の英語力に問題はないと言われ、引き続きIELTSが取れるように頑張りなさいと。
あれ?これはもしかしたらあるのではないかと、そんな期待を抱いた。
しかし、次の日のIELTSで再び撃沈。
何度同じことを繰り返すのだろうかと。メンタル的にも限界は近づいていた。もちろん勉強できていない状態でテストに挑む自分が悪いのだが。しかし落ち込む暇もなく、IELTS受験後すぐに修士設計のために大学に戻った。
後輩がたくさんお手伝いをしてくれていたため、戻らない選択肢はなかった。
8日の夜に口頭試問様に大学にスーツを着ていった。
そして、そこから地獄は始まった。
修士設計が間に合わない。でも寝てないから眠たい。
でも寝たら終わってしまう。モンスターを水の如く飲み、目を覚ました。
そこから10日13時からの口頭試問まで一睡もすることなく起き続けていた。
体の節々が麻痺するか、痺れるの繰り返し。7日から寝てないと人間、体が異常な反応を示すのだと。
13時からの口頭試問は寝てないせいもあり、頭が回らない。そしてなにより意識が朦朧としている。
そんな中でのプレゼンはうまく行くはずがない。
もちろん失敗した。
悔しくて泣いた。寝ずに手伝ってくれた後輩に申し訳な気持ちと、自分の情けなさで、一気に涙が出てきた。
口頭試問の片付けを終え、贔屓にしてくれる教授から打ち上げに行こうと誘われていたため、大学最寄駅付近の焼き鳥屋さんに行った。
今思えばなぜ寝てない最悪なコンディションで飲みに行くことにしたのか。笑
サシで飲みにいかせて頂いたものの、ほぼ記憶がない。途中から寝言言いながら、寝てたみたいだが。
教授の前で、失礼極まりない。しかし、それほど疲れていた。
23時を前に解散した。
そして大阪方面の電車に乗った。
乗ったは良いもののすぐに睡魔に負けた。
起きた頃には大阪駅を過ぎていた。寝過ごしたのである。
折り返し電車に乗った。
そして、また寝てしまった。
結局大学の最寄り駅に帰ってきてたのである。
約2時間電車で寝ていた。笑
終電もない。家に帰れない。
大学まで2時間半かけて、戻った。
普通に、気が狂う様な出来事である。
やっと多忙な暮らしが一区切りすると思っていたのに、また学校に戻っている。意味がわからない。
2月11日の4時頃に学校に着き、すぐにいつもの段ボールを重ねている寝床で寝た。
11日は祝日で久しぶりのオフデイだと思っていたのに、まさか学校で過ごすとは。
4時に寝て、起きたら夕方17時だった。
13時間ぶっ通しで、寝てたのである。
最悪な休日であった。
なぜなら、次の日から京都で建築インターンにいかなければならなかったからである。
この続きは次回書きます。
長々と書きましたとさ。