今回は前回からの続き。

東工大を落ちた自分は父からの金言をもとに、世界に羽ばたく人間になる事を決意した。
そしてニューヨークへ旅行に行くことが決まった。
お金もない中で旅行を計画していたが父からのサポートで無事ニューヨークに行かせて貰えることになった。

ニューヨークでの日々は毎日が新鮮で刺激的であった。
朝の通勤ラッシュ時のニューヨークは都市が生きてると言うにふさわしく圧巻であった。
いつかこんな所で働いてみたいと思った。
10日間の旅を終え、日本に帰国してからは卒業設計、卒業論文に追われた。
所属した大学の大学院への進学を決めていたため、卒業設計は一段と気合が入った。

 

2018年1月31日に向けて、後輩のお手伝いを借りながらの日々であった。

そんなある日、父から大学院における副専攻に関して情報を得た。自分よりも父の方がリサーチしている事に驚いたが、有り難かった。

しかし、副専攻への出願期限は過ぎていた。

すぐ様、大学事務室に電話をした。

熱意とやる気を伝えた。

結果、TOEICの基準は満たしていた事が功を奏した。

 

出願を認めるにあたり、教授と面談をして許可を得なければならなかった。初めてお会いする教授に会うのは緊張した。そしてなにより、卒業設計提出の前日1月30日に面談する事が決まった。

そんな余裕はなかったが、とにかく面談に臨んだ。主専攻があるから、忙しくなる事を覚悟しなさいって言われたのを覚えている。

 

そして自分の副専攻を履修する事への想いを伝え、出願許可を得た。

 

2月。

主専攻の出願と同時に副専攻の出願を済ませた。

そして副専攻の面接に向けて準備を開始した。

2月12、13日、卒業旅行として京都の天橋立、兵庫の城崎温泉に行った。

13日の朝、起床したら体調がすこぶる悪い。

14日になっても、改善しない。

夕方病院へ行った。

 

なんとA型インフルエンザ。

 

今までもインフルエンザになったことはあるが、この時が一番キツかった。

しかし17日に副専攻の面接がある。

全く準備ができない。

そもそも面接に行けるのかもわからなかった。

とにかく寝込んだおかげで、16日には熱も下がり体調は戻った。

しかし、翌日の面接の準備をする気力はなく、そのまま当日を迎えた。

 

初めての英語での面接。

撃沈し、

凹み、

落ちたと思った。

 

24日は主専攻の面接があったため、用意はしていたがもや全てどーでも良いと思ってしまっていた。まあしかたない。

主専攻の面接はまあ当たり障りなく終わった。

集合部屋を間違えて、遅刻したが。。。

 

3月1日。

合格発表。

主専攻は合格すると思っていたが、副専攻も合格していた。

嬉し過ぎた!すぐに母に電話した。

母も喜んでくれた。久しぶりに嬉しい気持ちになった。

 

これにて、学部時代は終了。

次からは大学院生活を振り返る。