2011年3月11日。

日本を震撼させる大地震が東北地方を襲った。


岩手県釜石市。

親父の実家だ。

自分も、物心ついた時から行き慣れていた土地。

おばあちゃんや親戚も沢山住んでいる。


次々と映し出される津波の被害。

みんな避難しているだろうと連絡を待つ日々。


震災から3日経っても誰からも連絡がこない。


被災地の安否確認がこんなにも難しいものだとは思わなかった。


PCの中でおばあちゃんを探す旅に出た。

どうすれば、テレビや新聞以外の情報を得られるのだろうか。


毎日、数千人とUPされる避難者リストを見続ける日々。その時点でUPされている人数は岩手県で4万8千人。

的を絞らなければとてもじゃないが、探し出せない。


情報の全ては役所関係とグーグルに集約されているという。


先ずはグーグルパーソンファインダーに尋ね人でおばあちゃんを載せる。

そして、住んでいる地域の避難場所や被災後の航空写真を見て津波被害の規模を知り、どちら方面に避難したか推測する。

ヤフー知恵袋、地域掲示板など色んなところにおばあちゃんの名前と住んでいた老人ホームの情報を載せる。


ライフラインが全て断絶された今、情報を集めるのも困難になっていた。

そんな不安から、もしかしたらおばあちゃんはだめかもしれない。

そんなことを思うようになった。あまりの情報の少なさに


そんな中でも日本のみんなが協力して情報をくれた。知らない人ばかりだけど。現地でもツイッターやmixiなどに貴重な情報を流してくれた。

ようやく数千箇所ある避難所から3つくらいまで絞ることができた。


しかし、その地区の避難者リストは出てこない。

自衛隊や警察がまだその地区の救助にはいっていないようだ。

小さい町でニュースには出てこないけど航空写真で見る限りでは壊滅状態。


毎日避難者リストと情報を探す。


いつのまにか、避難者リストと被害者(死亡者)リストを探すようになっていた。

しかし、避難者リストに比べて被害者リストはあまりにも少ない。それだけ身元確認が難しいのだろう。


3月17日。

地震発生から6日が経った。

もしかしたら、おばあちゃんはだめかもしれない。


いつものように避難者リストを読み漁る。


しかし今日はいつもと違う。

自分が予測していた地区の避難所が次々とUPされている。

ようやく自衛隊が救助に入ったようだ。



「あった!」

「おばあちゃんの名前がある!」


生きていた。

過酷な状況の避難所にいるのは確かだけど。

生きている。


俺が見つけた。見続けた。

力が抜けた。

数日間張り詰めていた緊張と安堵の気持ちが一気に押し寄せた。


初めてうれし涙と言うものを流しそうになった。(流しそうになった)


自分と同じ境遇にいる人たちに今度は自分が情報提供をした。

「この老人ホームの人たちはここに避難していますよ」って。


すごい感謝された。自分も嬉しかった。


でもそれは、お互い様だよ。

自分も色んな人に情報をもらってここまでたどり着けたのだから。


電話不通と交通手段が無い今、どうやっておばあちゃんに

「おばあちゃんがそこの避難所にいることは、親戚も子供も孫もみんな知っているからもう少しの間、寒いし大変だけど頑張って!」

と伝えられるか検討中。