シンデレラプロジェクトの冒頭部分のインスタライブをリアルタイムで見て驚きました。

ハッピーちゃんが、

『みんなでひとつになるため』に、

こう呼びかけたんです。

「喉仏から喉裏通って斜め上に意識をおいた状態で現実を見てください」、

って。

からの、

ハイこれー
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓



はい、まさしくコレ。

ハッピーちゃんもなってるんだねー。

インスタライブのコメントにもいろんな方が“わからない”とか“どうやるの”とかって書いてたけど、

うん、難しいよね。

それになるときに意図してやるのも難しいし、

意図してやる方法も的確に説明できるかっていったらそれも難しいし、

何よりその感覚になったときのことも説明しづらい。

もう、『感覚』だから説明しづらいんだよなぁ。

…つって、考えに考えた結果、

ここで出てくるのが、

最近私が推しに推してる例の『VR視点』よ。笑

私はこれで腑に落ちた。



『私が見てる』んじゃなくて、

『ゲームの中の私の目を借りて見てる』

みたいな。

私と思ってるのはゲームの中の人物であって、

本当の私はVRメガネかけてるほう。

だから本来は、ゲームのフィールド(現実)とゲームの主人公(現実世界での自分)とVRメガネかけてるプレイヤー(本当の自分)がいるのに、

ゲームの主人公はゲームの中で私が主人公で私がゲームを動かしてるって思い込んでるのは

浅はかだってこと。

私はこれを現実世界との癒着って呼んでる。

で、ほとんどの人が癒着状態にある。

本当の自分はここにいるのに!って。

フィールドからフィールド上の自分から何から本当の自分がデザインしたものなのに!って、ね。

そしたら苦しみも悲しみもただのプログラムだってことがわかる。

ただのプログラムはただの体験プログラムだから、

体験したら終わりでいいんだぜ、っていう。

そして、そこに気づくと自動的に感謝だらけになる。

すべてプログラムを通して体験をさせてもらってるんだから。

このプログラムが無かったら私という主人公は何一つの体験も出来なかったわけだから。

あらゆる景色、あらゆる事象に感謝せざるを得なくなる。

不思議よ、この感覚。