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LOOKIN' FOR AMERICA

俺達のようなミュージシャンは活動の場所はライブハウスである。


極まれにイベント等でホールのステージに立つことはあるがそれはあくまで他人が主催であって自分のライブとしてはライブハウスでしか歌わない。


このライブハウスという表現に「ライブカフェ」や「ライブバー」と呼ばれる店も含むとして話そう。





当然のごとくこの「ライブハウス」ってやつは欧米文化である。


日本には似たようなもので昔から「芝居小屋」ってのがある。


名古屋の御園座なんてのは芝居小屋の巨大版とでも言おうか。





そもそもこの「ライブハウス」ってやつは商業ベースとは違うルートにあるものだと思う。


商業ベースに乗れない(いろんな意味で)ミュージシャンがその作品を商品としてではなくあくまで作品として発表する。


その先に初めて商品価値が生まれるものではないかと思う。





ニューヨークのグリニッジ・ビレッジに「バックフェンス」という小さなライブハウスがある。


観光ガイドになんか載ってないし有名なミュージシャンが出演するわけでもない小さな店だ(ちなみにこの店の隣は「ケニーズキャスタウェイ」という有名なライブハウスだ)。




初めてニューヨクに行った時、憧れのグリニッジビレッジに繰り出した。


真っ先に「カフェ・ホワ」に行ったのだがさすがに伝説の店、満席で予約なしでは入れなかった。


そこで「ケニーズ」に向ったのだがその隣で偶然見つけたのがその「バックフェンス」だった。




アメリカのライブバーの多くは普通に窓から中が覗ける。


何気に覗いた店の中でアコースティックギターを抱えた二人組が歌っていた。


多分20人も入れば満席になろうその店で5人くらいの客を前に彼らは歌っていた。



俺達は迷わずその店に入った。



バドワイザーを飲みながら彼らの演奏を聞いた。



ステージの前にグラスが一つ置いてある。


客はここに1ドル紙幣を入れてリクエストする。


「ボブ・ディラン!」とか「スプリングスティーン!」とか。


その前日に本物が歌うのを聞いた「サンダーロード」をビレッジの小さな店で聞けて感動したものだ。



そうやって客のリクエストに応えながら「俺達のオリジナル曲も聞いてくれよ」とか言いながらオリジナル局を披露する。


当然客達は熱心に耳を傾ける。



いい流れだ。




2001年の9月10日の夜も俺はその店にいた。


その夜はカントリー風のオリジナル曲を歌う中年女性シンガーが歌っていた。


ステージの合間に彼女が手売りしている自主制作のCDを買った。


彼女はニュージャージーから来ていると言っていた。


何年たっても彼女の安否が気がかりだ。





前にも書いたがアメリカにはこんなライブハウスがたくさんある。


店も歌っている連中も、そして客も皆揃ってレベルが高い。


これは決して店が綺麗だとかギターや歌が特別上手いとか客がたくさん入っているとかではない。


それぞれの意識レベルが高いのだ。




それって、その時の一瞬一瞬が全部人生の一部だってことを皆が解っているんだと思う。


だから楽しい時は心から楽しむし自由だし夢って奴は必死で真剣に追いかけるし何より誰もが前しか向いていない。



アメリカに行って向こうの音楽に携わっている人(リスナーとしてだけでも)と話すといつも心が洗われる。





日本で成功した野球選手がメジャーリーグに憧れるのもそういった理由だと思う。


別にアメリカの野球が球が速いとか足が速いとかホームランをたくさん打つとかそんな理由じゃない。


球場やファン、ホームタウンも含めた野球文化に憧れてメジャーに行くんだと思う。




俺達の音楽でもそうだ。


歌が上手いとかギターが上手いとかそんな理由だけじゃない。


意識の高さだと思う。


それが「カッコイイ」んだと思う。



「バックフェンス」で数人の客の前で歌ってた連中、皆カッコよかった。





政治的に見たりするとアメリカは嫌われ者にもなったりする。



でも音楽で言えばアメリカはカッコいい。



スポーツでも映画でも。



文化としてのアメリカはカッコいい。






俺だって歌もギターも上手くなりたい。


だから一生懸命に練習をする。



でも「上手いね」とは言われたいとは思わない。





「カッコいいね」って言われたい。




俺はアメリカを探し続ける。





名古屋 りとるびれっじ

おとといの豊橋に続いて今夜は 名古屋りとるびれっじ http://littlevillage.nomaki.jp/ にて「鎌田ひろゆきライブ」のオープニングアクト第二弾です。

なんと、今年初めての名古屋ライブです。

ぜひとも応援に来て下さいね。

アメリカ

久しぶりに国際空港って所に行った。


アメリカに住んでいる友達が年に1度帰ってくるのでその出迎えだ。



中部国際空港、通称セントレア。


成田や関空のように欧米都市への直行便が多いわけではない。


まして夜のセントレアは乗降客も少なく閑散としている。



車でターミナルビルに隣接している駐車場まで行くのだが閑散としてるわりにはそこはさすがの国際空港。


独特の空気が流れている。





俺は海外といえばアメリカしか行った事が無い。


俺の人生においてアメリカというキーワードは大きくまだまだアメリカを卒業はできない。




プロレスネタの時も書いたが俺のアメリカの原点はテキサスだ。


俺が初めてアメリカに行った時、最初に降り立ったのがテキサス州ダラスの空港だった。


目的地はボルチモアだったのだが乗り継ぎのためダラスで降りた。



不思議だった。


ボルチモアに行くのに乗り継ぎ地はデトロイトでもシカゴでもいい。


それがダラスだ。


正直言うが乗った飛行機が着陸の為だんだん高度を落としていってテキサスの大地がだんだん近付いてくるの見ながら涙があふれて止まらなかった。


その時はボルチモアからテキサスに戻ってヒューストン、そして最後にダラスと滞在して帰国した。



その翌々年、俺は初めてニューヨークに行く。


ニュージャージーでのブルース・スプリングスティーンのコンサートを見る為だったのだが憧れのヤンキースタジアムにも行った。



そのまた翌年にはフィラデルフィアにも行ったりしたがその時も含めてニューヨークは欠かせない街になった。


音楽的にもグリニッジ・ビレッジ界隈は何度行っても飽きることがない。


野球は何と行ってもヤンキースだ。



ニューヨークではニューヨーク最大の悲劇にも立ち会った。


翌年、追悼訪問もした。


それが2002年のこと。



それ以来アメリカには行っていない、どころか飛行機にも乗っていない。




2003年に親父が死んだ。


しばらくしてアメリカに行く機会があったのだが今思うと馬鹿馬鹿しい理由で断念した。


これはすごく後悔している。


正直言うがこれは今も俺の中で燻っててあの時行ってたら間違い無く今の俺は違う俺だっただろう。


これは機会があればいつか詳しく話そう。




俺の中のアメリカ。


捨ててしまった何かを取り戻さなくてはいけない。


このままじゃいけない。


もう一度この手でこの足でこの目で確かめなくてはいけない。



セントレアのターミナルビルを見ながら俺は強く思った。

ラブ・ソング

かなり久しぶりにテーマはブログです(笑)。




新しい作品を作っているということは前にも書いた。


その為の新曲もいくつか出来あがっている。





日本という国。


この国の中に住む人に起こる出来事。


この国が抱えている問題。


この国から見た遠い国の風景。


そしてテーマ曲的なニューヨークのとある場所を舞台にした歌。


中には男と女のラブ・ストーリーもある。



そのほとんどが俗に言う「メッセージ・ソング」だ。




しかしこの「メッセージ・ソング」というやつ。



俺は世にある意味のある歌の全てが「ラブ・ソング」だと思っている。


何の意味も無い、男と女の好き好き=SEXの快楽って歌も沢山ある。


商業的に成功できるのはこういう歌だ。




意味のある歌。


平和を願う歌、何かを訴える歌しかり。



全部が「愛」というものが前提にあって誰かを、何かを愛するが為に黙っていられない。


それがメッセージとして歌となって発せられる。


そう思っている。




そういった意味で俺の今度の作品は「ラブ・ソング集」だと言わせてもらう。


「愛」って男と女の間だけにあるものじゃない。



全ての人類が「愛」の中で生きている。

プロレス

プロレスラーの三沢が死んだ。



福井大輔というと「野球」「ベースボール」というイメージを頂いているが実はプロレスの大ファンでもある。



実家が名古屋市の「愛知県体育館」の近所だったこともあり高校生の頃からしょっちゅう名古屋大会(ファンは○○大会というのだ)を生観戦していた。



当時はジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」を見に行っていた。


当時のプロレスはアントニオ猪木の「新日本プロレス」と2団体しか無く(ラッシャー木村の「国際プロレス」というのもあったにはあったが・・・)ファンは馬場派か猪木派かと分かれていた。



俺は馬場派だったわけだがこれは馬場のファンだったからというわけではない。


当時大人気だったテリー・ファンクとドリー・ファンクjrの兄弟「ザ・ファンクス」のファンだったのだ。


悪役のブッチャーにフォークで腕をグサグサ刺され大流血したテリーを兄のドリーが助けにいきドリーもまたブッチャーのタッグ・パートナーのザ・シークの凶器攻撃で返り討ちにあう。


それでも最後は兄弟力を合わせて勝つ、という涙無しでは見れない名場面をたくさん作ってきた選手達だ。





この「ザ・ファンクス」、アメリカはテキサス州アマリロ出身で親父もプロレスラー。


親父が引退後アマリロで農場を拓いていてそこに作った道場で兄弟は修業した(故ジャンボ鶴田やスタン・ハンセン(息子がマリナーズにドラフト指名された!)もこの道場の門下生だ)。



当時出ていたプロレス雑誌の別冊号でここを訪ねるというのがあった。


ここではファンク道場や農場のみならずアマリロの街やテキサス州の他の街(有名なダラスやヒューストンはめちゃめちゃ遠いのだが・・・)も紹介されていてさしずめテキサス旅行ガイドブックのようだった。


俺は毎日のようにその本を眺めてはアメリカはテキサスに想いを馳せていたのだ。


「いつか絶対ここに行く」と。




告白します。


福井大輔のアメリカの原点は「テキサス」なのです。



ロスでもニュー・ヨークでも、はたまたニュー・ジャージーでもなく原点はテキサスにあるのだ。



しかもベースボールでもない。


福井大輔のアメリカの原点は「プロレス」なのです。





先週末から映画「ザ・レスラー」が封切になった。


しかも主題歌はあの人だ。


ストーリーもかなり良さそうだ。


俺のアメリカの原点をテーマにした映画で主題歌を俺の中での「アメリカ」が歌う。



ここにも福井大輔の最近のテーマがあるのが不思議な感じだ。






俺が愛知県体育館に通ってた頃、前座試合で必ずといっていいほど出ていたのが若手時代の三沢だった。


これも若手時代の越中詩郎とのカードが印象に残っている。


三沢は当時からドロップ・キックを使ったりパワフルな水平チョップ等で会場の声援を受けていた。



その後ファンクスの引退(プロレス流に一時的な)で新日本ファンに寝返った俺はほとんど新日本の試合しか見なくなったのだがたまたまテレビで見た全日本の試合で久しぶりに「全日本プロレスでしびれるシーン」(ファンクス亡き後馬場流のスロープロレスがダサく感じて猪木のストロング・スタイルに傾倒したのだ)を目撃した。


それはタイガーマスクの試合だったのだが試合途中でタイガーが自分でマスクを脱ぎ素顔をさらして相手に突進していった。


その素顔の主は三沢光晴であった。


あの三沢はカッコよかった。



その後ジャイアント馬場の逝去等からの全日本プロレスの内部事情で三沢は独立、「プロレスリング・ノア」を立ち上げる。




プロレス界はインディーズ団体も増えたがやっぱり「全日本」と「新日本」の2大勢力がツー・トップとして君臨しNo.3として「ノア」があったように思える。


しかし新日本から武藤敬司を引き抜き社長に据えた全日本であるがどこかで「ジャイアント馬場」のイメージが拭い去れない。


新日本しかりだ。


現エース格の棚橋にしても後藤にしても「燃える闘魂」という言葉が当てはまる。



そんな中で「ノア」は独自のカラー、つまり「三沢カラー」を発揮しつつあったので残念だ。





三沢の死をうけ、新日本から追悼大会の案が出た。


「新日本」「全日本」「ノア」の3団体合同で団体の枠を越えた「プロレス界」としての追悼大会だ。


是非とも実現させてほしいものだ。


それぞれの団体の大人の事情(大人気無い事情も)あるがそれを乗り越えてこそ追悼だろう。


まずは金、ってんじゃ葬儀屋産業と同じになってしまう。



団体も世代も階級も全部取っ払って一人のレスラーの死を悼み、またプロレスというものの未来の為にその死を無駄にせず有効に(いい意味で)利用する。



そんな大会の実現を摂に願う。



実現すれば斎藤彰俊の背負った十字架も少しは軽くなるだろうし。





空の上では次期シリーズのメイン・マッチのカードが発表される頃だろうから。



メイン・イベント 時間無制限1本勝負


ジャイアント馬場  ジャンボ鶴田 組  VS  橋本真也  三沢光晴 組