線引き
ミュージシャンの世界でプロとアマチュア。
違いは何だろう?
プロはお金をもらえるけどアマはもらえない?
でもいわゆるアマチュアと云われる連中もチケットたくさん売って動員が多ければチャージバックという
名目でお金がもらえる。
事務所に所属しているのがプロでしていないのがアマ?
スタジオ・ミュージシャンの人達の多くはフリーランスだがプロと呼ばれる。
実に曖昧だ。
そもそも音楽のようなアートの世界にプロとかアマとか線を引いて区別する必要はない。
これがスポーツの世界ならばその線引きは分かり易い。
これはもうお金がもらえるかもらえないかの違いだ。
賞金?
あれはあくまで賞がお金で渡されるのであってギャランティではない。
日本人はとかく線引きをしたがる。
区別に差別。
アメリカの音楽の世界にはそんな線引きは無い。
ミュージシャンはミュージシャン。
音楽で飯を食っていようが食えないから食うために他に仕事をしていようがみんな同じミュージシャン。
強いて区別をするならば会社とマネージメントやリリースの契約をしているかしていないか。
それくらいだ。
ではなぜ線引きが無いのか?
みんなプロでありアマチュアであるからだ。
たとえ自分の身入りにならなくてもお金は動くことをわきまえている。
そこにプロ意識というやつが生まれる。
それがプロだ。
下手な奴は上手くなろうと、上手い奴はもっと上手くなろうと向上心を忘れない。
そしてそれを楽しむ。
ステージの上でも楽しむ。
初心者の頃のスピリットも忘れていない。
そこがアマチュアだ。
そんな連中しかいないのだ。
完全に趣味、遊びの世界です、という奴。
ライブハウスもそんな奴はステージには上げない。
たとえオープン・マイクでもだ。
日本のようにライブハウスがオープンマイクという名の酔っ払い達のフォーク酒場になるなんて有り得ない。
それ以前にそうい奴はライブハウスにノコノコとギター持ってやって来ない。
それを踏まえて、線引きをしたがるこの国。
俺だってここにだけは極太の線を引きたい。
本気と適当の間に。
本気ってのは技術的なことではない。
自分のやっていることにいかに投資ができるかって事。
それはお金だけじゃない。
時間も、体力も。
好きでやってる音楽だ。
好きなことにくらい全てを捧げてもいいと思うが。
また適当ってのは何も手を抜いてるって事だけじゃない。
本気ってのの逆。
投資ができない奴らのことだ。
技術的に優れているとか人気があって動員力があるとかは関係ない。
むしろこの場合の適当って奴の方がテクニシャンだったり人気があったりすることがある。
俺はこの本気な奴のことを「本物」と呼ぶ。
そして適当な奴のことは「偽者」と呼ぶ。
例えば、ブルースが大好きですって奴がいたとする。
ブルース・ギターを弾かせたら結構な腕前だ。
人気もある。
メンフィスに行ったことありますか?
シカゴは?
ニューヨークは?
どれもありません。
アメリカ自体行ったことありません。
偽者だ。
だいたいそういう奴の言い訳は、行きたいんだけど仕事が忙しいとかお金が無いとかが常套だ。
行きたいならどうして行けるようにしないの?
1年365日24時間仕事してるの?
普通の会社員なら有給休暇ってのが法律で認められてるでしょ?
お金が無い?
ブルース貯金でもしようとか心から行きたいと望むなら借金してでも行くんじゃない?
結局のところそれが適当ってことだ。
誰だって本物になりたいはずだ。
どうすればなれますか?
「体験」すればいい。
飛行機に乗って長い時間かけて本場の風に吹かれに行く。
本場の空気の中で本物を見て聞いて感じる。
それが息吹だけでもいい。
ビートルズを愛する者はリバプールに行く。
そこにジョンやジョージはいなくても。
結果的にどうしても行くことができなかったとしよう。
行くための、本物になるための最大限の努力は惜しまないでほしい。
たとえ本物になれなくても少なくとも偽者ではなくなったのだから。
かく言う俺もまだまだ偽者。
俺自身を本物と呼ぶには理想の完成形がある。
そこに辿り着くには生きてるうちには無理かもしれない。
だから俺は何度倒れても、倒されても立ちあがる。
そして歩き続ける。
まずは自分で自分を偽者じゃないと言い切れるように。
そしてそこからまだ、歩き続ける。