昭和の味
何年も前から、俺はずっと名古屋の車道という町にあるライブハウスに出演していた。
もともと東新町にあった店だがよくある諸般の事情で車道に落ち着いた。
途中でオーナーが替わったが20年以上の付き合いの店だ。
俺が主催していたイベントもその店で行っていた。
たまにスケジュールの都合などで他の店での開催もあったが基本的にその店が主戦場だった。
そこでのイベントの打ち上げに必ず使っていたのがその店の近くの中華料理屋。
車道商店街にある「徐州」(名古屋市東区葵2-5-29 052-936-1300)だ。
俺も仲間達も大好きなこの店。
とにかく汚い(笑)。
と言っても不衛生という意味ではないので安心してほしい。
建物が古い。
店が狭い(2階の座敷は広々として快適だが)。
長年の営業で染み付いた中華料理の油。
通路に置かれたビールケース。
ケースに入りきらないビールや中国酒の空ビン。
・・・。
そんな店なんだがいつも満員。
その徐州、料理がいちいち美味い。
厨房を守るのはなんとお婆ちゃん(俺達はお母さんと呼んでいる)。
そして店の全ての切り盛りをするのがその娘(と言ってもこの人もいい婆さんだが・・・)。
「おタカさん」というその人。
実に威勢がいい。
いつも元気そのもの。
いいライブをやった後なんかはついつられてビールを飲み過ぎてしまう。
ライブがあまりよくなかった日はその威勢で嫌なこと忘れさせてくれる。
そんな女二人だけの中華料理屋さんなのだ。
芸能界やスポーツ選手にもこの店のファンは多い。
いつも俺達が使わせてもらう2階の座敷の壁にはたくさんのサインや写真が貼ってある。
松平健さんに柳葉敏郎さん、音無美紀子さんも来てた。
ドランクドラゴンも来てた。
中日ドラゴンズの選手も多く来店している。
写真の感じからオフにゴルフの帰りに寄るのだろう。
仁村コーチに井上一樹、福留孝介等など。
そんな大好きな店だったが車道のライブハウスで歌うことが無くなって足が遠のいた。
その後、おタカさんが体調を崩して暫く休業してると聞いた。
幸い、おタカさんの体調も回復。
しかしいつも夜中まで営業してた店も早い時間に閉めなくてはならなくなった。
俺も時々思い出しては徐州の餃子が食いたいなあと思っていた。
俺のイベントに地方からツアーで出演してくれるシンガーにいつも必ず言っていた。
「俺のイベントに出てくれたら日本で1番美味い餃子食べさせるからね」と。
まあ、日本一はオーバーだとしても総選挙でメディア選抜には入る自信はある。
それくらいここの餃子は美味い。
何の変哲も無い普通の餃子。
子供の頃、俺のの親父は夜が仕事でいなかったのでたまにお袋と弟と3人で近所の商店街にある
中華料理屋に行った。
もう今は無くなってしまったが中国人のオヤジが厨房を守り奥さんが切り盛りする
小さな中華料理屋さんだった。
そこでラーメンとチャーハンと餃子を2人前ずつ、そして肉の天ぷらを1人前。
毎回このメニュー。
満腹にはならなかったがその味で満足した。
3人でそれだけを食べて商店街を歩いて帰っていく。
あれから40年近くが過ぎたがあの味とお袋と弟との3人の帰り道は今も覚えている。
徐州の餃子はそんな俺の子供の頃を思い出させる。
あそこの料理は昭和の味がする。
座敷で仲間達と食べるあの料理、そしてあの空間。
何もかも忘れて心からホッとできる。
今日、たまたま街に出る機会があったので回り道をして車道商店街を通ってみた。
徐州の看板が見えた。
店は健在のようだ。
ゆっくり前を通り過ぎると中の厨房の灯りが点いている。
車を止めて店を覗いてみた。
お母さんが仕込みの最中だった。
中に入るとちょうどおタカさんが奥から出てきた。
3年ぶりくらいだろうか。
2人ともすこぶる元気そうだ。
嬉しかった。
心から嬉しかった。
そこにはまだ「あの頃」があった。
車に戻ってほんの少しだけ涙がこぼれそうになった。
もちろん、顔は笑っていたが。
俺もいろんな意味でいろんな所に立ち戻って行く時が来たのかもしれない。
捨ててきた物、捨てさせられた物。
忘れた物、忘れかけている物。
失くした物、取り上げられた物。
そんな奴らを取り戻す場所へ。
それは決して過去へ戻るということではなく。
それは決して後ろを振り返るということではなく。
前に進むために。
40代後半。
もう一度、やり直してもいいんじゃないか?
もともと東新町にあった店だがよくある諸般の事情で車道に落ち着いた。
途中でオーナーが替わったが20年以上の付き合いの店だ。
俺が主催していたイベントもその店で行っていた。
たまにスケジュールの都合などで他の店での開催もあったが基本的にその店が主戦場だった。
そこでのイベントの打ち上げに必ず使っていたのがその店の近くの中華料理屋。
車道商店街にある「徐州」(名古屋市東区葵2-5-29 052-936-1300)だ。
俺も仲間達も大好きなこの店。
とにかく汚い(笑)。
と言っても不衛生という意味ではないので安心してほしい。
建物が古い。
店が狭い(2階の座敷は広々として快適だが)。
長年の営業で染み付いた中華料理の油。
通路に置かれたビールケース。
ケースに入りきらないビールや中国酒の空ビン。
・・・。
そんな店なんだがいつも満員。
その徐州、料理がいちいち美味い。
厨房を守るのはなんとお婆ちゃん(俺達はお母さんと呼んでいる)。
そして店の全ての切り盛りをするのがその娘(と言ってもこの人もいい婆さんだが・・・)。
「おタカさん」というその人。
実に威勢がいい。
いつも元気そのもの。
いいライブをやった後なんかはついつられてビールを飲み過ぎてしまう。
ライブがあまりよくなかった日はその威勢で嫌なこと忘れさせてくれる。
そんな女二人だけの中華料理屋さんなのだ。
芸能界やスポーツ選手にもこの店のファンは多い。
いつも俺達が使わせてもらう2階の座敷の壁にはたくさんのサインや写真が貼ってある。
松平健さんに柳葉敏郎さん、音無美紀子さんも来てた。
ドランクドラゴンも来てた。
中日ドラゴンズの選手も多く来店している。
写真の感じからオフにゴルフの帰りに寄るのだろう。
仁村コーチに井上一樹、福留孝介等など。
そんな大好きな店だったが車道のライブハウスで歌うことが無くなって足が遠のいた。
その後、おタカさんが体調を崩して暫く休業してると聞いた。
幸い、おタカさんの体調も回復。
しかしいつも夜中まで営業してた店も早い時間に閉めなくてはならなくなった。
俺も時々思い出しては徐州の餃子が食いたいなあと思っていた。
俺のイベントに地方からツアーで出演してくれるシンガーにいつも必ず言っていた。
「俺のイベントに出てくれたら日本で1番美味い餃子食べさせるからね」と。
まあ、日本一はオーバーだとしても総選挙でメディア選抜には入る自信はある。
それくらいここの餃子は美味い。
何の変哲も無い普通の餃子。
子供の頃、俺のの親父は夜が仕事でいなかったのでたまにお袋と弟と3人で近所の商店街にある
中華料理屋に行った。
もう今は無くなってしまったが中国人のオヤジが厨房を守り奥さんが切り盛りする
小さな中華料理屋さんだった。
そこでラーメンとチャーハンと餃子を2人前ずつ、そして肉の天ぷらを1人前。
毎回このメニュー。
満腹にはならなかったがその味で満足した。
3人でそれだけを食べて商店街を歩いて帰っていく。
あれから40年近くが過ぎたがあの味とお袋と弟との3人の帰り道は今も覚えている。
徐州の餃子はそんな俺の子供の頃を思い出させる。
あそこの料理は昭和の味がする。
座敷で仲間達と食べるあの料理、そしてあの空間。
何もかも忘れて心からホッとできる。
今日、たまたま街に出る機会があったので回り道をして車道商店街を通ってみた。
徐州の看板が見えた。
店は健在のようだ。
ゆっくり前を通り過ぎると中の厨房の灯りが点いている。
車を止めて店を覗いてみた。
お母さんが仕込みの最中だった。
中に入るとちょうどおタカさんが奥から出てきた。
3年ぶりくらいだろうか。
2人ともすこぶる元気そうだ。
嬉しかった。
心から嬉しかった。
そこにはまだ「あの頃」があった。
車に戻ってほんの少しだけ涙がこぼれそうになった。
もちろん、顔は笑っていたが。
俺もいろんな意味でいろんな所に立ち戻って行く時が来たのかもしれない。
捨ててきた物、捨てさせられた物。
忘れた物、忘れかけている物。
失くした物、取り上げられた物。
そんな奴らを取り戻す場所へ。
それは決して過去へ戻るということではなく。
それは決して後ろを振り返るということではなく。
前に進むために。
40代後半。
もう一度、やり直してもいいんじゃないか?