<ブログ 続き>
正月早々、この「イタイ現実」を、どう捉えようかと、試行錯誤していました。
この出来事を、まるで「夢」のように捉え、観察してみましょう。
<ドリームフレンド・風式ドリームワーク>
「私の中の~」使用
タイトルは、「後悔」→「(私の中の)後悔」
「私は、(私の中の)左足の(私の中の)親指を(私の中の)骨折する」
と書き換えられます。
私にとって、「左足」は、ここ何年か右半身の故障があったので、どうしても
左重心になっている→左右のバランスをとりたい側です。
私にとって、「親指」は、10本の指の中でも、大事な中心的存在、特別な指です。
また、「足の親指」は、歩くときに大地を蹴って前に進む役割だと考えられます。
私にとって、「骨折」は、苦痛・長引く・固定・面倒というイメージであり、
また、文字通り「苦労=骨を折る→骨折り損のくたびれ儲け」とも感じる
言葉です。
4ヶ月前、実母が、全く同じ左足親指を骨折したという事実もあります。
そう思うと、私にとっての「親指」は、「親そのもの」を連想させる、
私自身の体の一部・・・ということになりますね。
どうやら、私は、
私の中にある、「親的な部分」を、
「大事な役割だが、面倒で苦労した割には損な役割」だと
深層で思っており、その役割に傾いてしまっている現状を、
「後悔している」ようです。。。
そう、もう少し自分を解放してみましょう。
「子どもの部分」を発揮してみましょうか。
堂々と快活に地面を蹴って進んでも良いかも!
楽になれ!わたし!