一昨日義母が亡くなり、数年前に自分の父が亡くなった時のことが、色々思い出された。

昼頃入院先に顔を見に行って、
お医者さんから「もう、今日明日かも…」と言われたので、
一旦帰宅し、オットと子供を連れてまた病院に行く為、
慌ただしく用意をしていた所に、
妹から「今亡くなった」と電話があった。
「間に合わなかったか…」
駅までのタクシーの中、 
夕方に差し掛かり混みだした電車の中、
駅から病院までのタクシーの中でも、
人目を憚らず泣いてしまった。
病室には、死を見届けた母と妹がいた。
連れて来た子供を見て、2人ともまた涙を流し始めた。

子供の頃に母を亡くし、
中卒後、集団就職で上京、
寿司屋だか魚屋だかに住み込みで働き出したが、
水が冷たく(この頃既にリウマチを発症していたのかもしれない)、
修行が辛くて?逃走、
その後母と出会うまでは、何をやって生活していたのか誰も知らないが、
母にも話さなかったという事は、
余程苦労して、辛い思いをして来たのだろう。

リウマチは症状が酷く、
研究サンプルにされる程で、
両脚・股関節共人工関節で、
何回入退院を繰り返したかわからない。
何十年も苦しんで来た父に、
「辛かったね、よく我慢したね、
もう痛くないね」と、最後に言葉を掛けた。
みんながひと通りお別れを言ったところで、
看護師さんから「御遺体をお清めしてもよろしいですか?」と声をかけられた。
「どうぞよろしくお願いします…」と部屋を出ようとしたら、
妹が突然、父の顔にスマホを向け、シャッターを切ったのには驚いた。
「死人を写メる」という行為は、全くの想定外だった。
妹にしてみれば、父の最後の安らかな顔を残しておきたかっただけなのだろうが、
死人にスマホ(カメラ)を向ける行為自体が、私にはどうにも受け容れられなかった。
産後ずっと専業主婦の私と違って、
妹はずっと独身で働き続けているのだから、
もしかして今の世間の常識には外れない事なのか?
それにしても私には、 
「死者への冒瀆」とまでは言わないまでも、
かなり違和感のある行為であった。
カフェでインスタにあげる🍰を撮るように、
🚌の停留所で時刻表をメモする代わりに写メるように、
亡骸を「記録する」ということを、
どうしても「同じようにやってほしくない」と思ってしまったのだった。

妹から「あの最後の写真、送ろうか?」と訊かれたことは、今だに無い。
単に忘れているだけで、深い意味は無いと思うが。
しかし父の亡骸の写真なんて、一体どういう時に見るのだろうか。
結構自分と考え方も似ていると思っていた妹に、
他人と同じ位距離を感じた出来事だった。