蟲が居る
「蟲師」というアニメ作品がある。
好きなエピソードは何回も見直している。
原作は漆原友紀さんの漫画なのだけれども、
アニメーションの方が個人的には好み。
映画もあるけどね・・・(汗)。
詳しくはWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B2%E5%B8%AB
作品に登場する様々な蟲たちを見ていると、
ど田舎育ちの自分も幼い頃に見たような気になってくる。
いや、見ていたのかもしれない。
いやいや、見ていたのであろう。
かなり記憶が薄れてしまったが、
霊的なモノとは異なる理解不能な現象や出来事に遭遇している。
激流に逆らいながら進む垂直に立った木の枝のようなもの
二度と行くことが出来なかった蝉の広場
田んぼのあぜ道で出くわしたガラガラ蛇
庭で花火をしていたら、屋根の真上を通過していった巨大な発光体
・・・などなど。
見なかったことにしようと忘れさせた記憶も多々あるような気がする。
爺さん婆さんに聞いた不思議な話もあったけど、
思い出すとなにかと厄介なのでこのまま忘れたことにしておこう(汗)
そもそも私の田舎は昔話やもののけ伝説が多く有り、
それらを調査しまとめた複数の書籍が出版されていたりする。
そんな土地で暮らしていたのだから、
奇妙な事が起きても何ら不思議ではないわけだ。

遊び場と云ったら、野原と田畑と山と河原しかなかった。
当たり前のように生傷は絶えず、
命を落としそうになったことは数えきれないほど経験し、
友人の絶体絶命的な場面も多々目撃している。
今思えば無茶苦茶していたなと人ごとのように思いながらも怖い。
バレないようにしていても発覚し父親にしばかれるのは日常茶飯事だったし、
それでも懲りずに無茶を繰り返し、又しばかれる負のスパイラル(笑)
しかし、無茶をしながら自然を相手に戯れることで、
生き物の命や生死についても考えさせられた。
・・・そんな少年時代だった。

苔やシダや落ち葉の臭いは、
嘗て飽き飽きするほど嗅いだはずなのに今でも嫌いじゃない。
下鴨神社がある「糺の森」を歩くと、少し心が落ち着くのは当然と言えば当然か。
但し、立ち入りたくない場所は決して踏み込まないのは今でも同じ。
「高貴なモノ」もしくは「負のモノ」の気配と云うか壁と云うか
そういった類のモノを感じると、その領域・場所・物体には近づくことが出来ない。
あの頃は自分が暮らす環境が退屈で都会の生活に憧れていたけれど、
いい歳になってからたまに森などの自然の中に身を置くと、
少し心がざわめくのは正に「望郷」と云うのでだろう。
白銀の庭先に現れたテン
イノシシが食べ残した沢ガニの甲羅
飛翔する姿も鮮やかだったキジの夫婦
車のヘッドライトを見つめたまま微動だにしない巨大なフクロウ
神社のご神木に住みついてたムササビ
綺麗に解体されたクマの鮮やかな朱色
葉から滑り落ちるアオモリガエルのオタマジャクシ
狂気に充ち満ちた怒れるサルの目
遥か上空を滑空するタカの勇姿
岩穴にこっそり隠れてたオオサンショウウオ
爺さんが慣れた手つきで解体しカレーに入れて食べた野ウサギ
釣るより手掴みが得意だったアマゴ
釣り上げたら手当たり次第に焚き火で焼いて試食した川魚
クマバチ・アシナガバチ・ミツバチ・キイロスズメバチ、それぞれに刺された痛み
・・・e.t.c
自然が身近でまったく距離感が無かった環境は、
今から思えばとても贅沢なことであり、掛け替えのない貴重な体験をさせてくれた。
感受性が豊かだった頃に味わえたことは、この先も心の宝であり続けることだろう。
もう一度体現出来ないようなことを、
懐かしく思い起こさせてくれる「蟲師」は、私にとって永久保存作品だ。

好きなエピソードは何回も見直している。
原作は漆原友紀さんの漫画なのだけれども、
アニメーションの方が個人的には好み。
映画もあるけどね・・・(汗)。
詳しくはWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B2%E5%B8%AB
作品に登場する様々な蟲たちを見ていると、
ど田舎育ちの自分も幼い頃に見たような気になってくる。
いや、見ていたのかもしれない。
いやいや、見ていたのであろう。
かなり記憶が薄れてしまったが、
霊的なモノとは異なる理解不能な現象や出来事に遭遇している。
激流に逆らいながら進む垂直に立った木の枝のようなもの
二度と行くことが出来なかった蝉の広場
田んぼのあぜ道で出くわしたガラガラ蛇
庭で花火をしていたら、屋根の真上を通過していった巨大な発光体
・・・などなど。
見なかったことにしようと忘れさせた記憶も多々あるような気がする。
爺さん婆さんに聞いた不思議な話もあったけど、
思い出すとなにかと厄介なのでこのまま忘れたことにしておこう(汗)
そもそも私の田舎は昔話やもののけ伝説が多く有り、
それらを調査しまとめた複数の書籍が出版されていたりする。
そんな土地で暮らしていたのだから、
奇妙な事が起きても何ら不思議ではないわけだ。

遊び場と云ったら、野原と田畑と山と河原しかなかった。
当たり前のように生傷は絶えず、
命を落としそうになったことは数えきれないほど経験し、
友人の絶体絶命的な場面も多々目撃している。
今思えば無茶苦茶していたなと人ごとのように思いながらも怖い。
バレないようにしていても発覚し父親にしばかれるのは日常茶飯事だったし、
それでも懲りずに無茶を繰り返し、又しばかれる負のスパイラル(笑)
しかし、無茶をしながら自然を相手に戯れることで、
生き物の命や生死についても考えさせられた。
・・・そんな少年時代だった。

苔やシダや落ち葉の臭いは、
嘗て飽き飽きするほど嗅いだはずなのに今でも嫌いじゃない。
下鴨神社がある「糺の森」を歩くと、少し心が落ち着くのは当然と言えば当然か。
但し、立ち入りたくない場所は決して踏み込まないのは今でも同じ。
「高貴なモノ」もしくは「負のモノ」の気配と云うか壁と云うか
そういった類のモノを感じると、その領域・場所・物体には近づくことが出来ない。
あの頃は自分が暮らす環境が退屈で都会の生活に憧れていたけれど、
いい歳になってからたまに森などの自然の中に身を置くと、
少し心がざわめくのは正に「望郷」と云うのでだろう。
白銀の庭先に現れたテン
イノシシが食べ残した沢ガニの甲羅
飛翔する姿も鮮やかだったキジの夫婦
車のヘッドライトを見つめたまま微動だにしない巨大なフクロウ
神社のご神木に住みついてたムササビ
綺麗に解体されたクマの鮮やかな朱色
葉から滑り落ちるアオモリガエルのオタマジャクシ
狂気に充ち満ちた怒れるサルの目
遥か上空を滑空するタカの勇姿
岩穴にこっそり隠れてたオオサンショウウオ
爺さんが慣れた手つきで解体しカレーに入れて食べた野ウサギ
釣るより手掴みが得意だったアマゴ
釣り上げたら手当たり次第に焚き火で焼いて試食した川魚
クマバチ・アシナガバチ・ミツバチ・キイロスズメバチ、それぞれに刺された痛み
・・・e.t.c
自然が身近でまったく距離感が無かった環境は、
今から思えばとても贅沢なことであり、掛け替えのない貴重な体験をさせてくれた。
感受性が豊かだった頃に味わえたことは、この先も心の宝であり続けることだろう。
もう一度体現出来ないようなことを、
懐かしく思い起こさせてくれる「蟲師」は、私にとって永久保存作品だ。

