人間というのは、生まれた時から孤独を背負わされていると思う。
頭のいい動物で他人との関係が複雑な分、見えにくいけれど、僕たちは皆平等に孤独だ。
死が平等なのと同じ感覚で、孤独も平等だ。
たとえば先生が生徒に説教しているとき、その先生は一つの流れの中にいる。
物事には大体の流れがある。
目には見えないけど、この世界はある大きな流れの中で動いているんだ。
人はそれを運命やら奇跡やら、神なんて呼ぶけど、呼び方はどうだっていい。
とにかくそれが厄介なんだ。
いや、それはいつでも絶対ってわけじゃない。
その大きな流れに抗える人も中にはいるんだ。
僕だって無意識に何度も抗っているんだろうけどね。
それを意識的にやってのけるやつもいる。
世に有名な天才と呼ばれる人間は大体がそうだ。
でもやっぱり、僕のような人間が大半だから、その流れはやっかいなんだ。
少し遠まわしになったけど、ここで話を先生の説教に戻そう。
先生ってのは説教をすることで流れに乗れるんだ。
本人は自分が生徒を思いやって説教していると思い込んでるけどね。
100パーセントそうではないんだよ。
その生徒が説教されているのは何も特別なことじゃない。
その生徒と先生が極めて特別な関係だからじゃない。
どこの先生だって生徒に説教するし、どこの生徒だって先生に説教されるんだ。
そのほんの一例がそこで行われているだけなのさ。
試しに聞いてごらんよ。
「先生は僕の進路を心配してくれているけど、どこまで僕を思ってくれているんですか?」ってね
きっと先生は誠心誠意をもってそれらしい答えを返すだろう。
それさえも流れだって事に気づかずにね。
それから毎晩こっちから進路の相談の電話をひっきりなしに掛けてやるんだ。
やがて先生はノイローゼになるよ。
そこで初めて、自分は教師という立場にあるからこそ生徒を思いやっているのだと気づくんだ。
教師の枠を取り外したら、先生がその生徒をどう思うのかなんて、想像もしたくないよ。
その生徒が卒業した後は、生徒の進路がどうなろうが彼には関係ない。
次に入ってきた生徒の世話で手一杯になって、その生徒を気にしている暇なんかない。
それを繰り返すたびに、その生徒のそんざいすら記憶に残るかあやしいもんだよ。
ただ僕はそれを責めているんじゃないんだ。
僕だって抗えない、それは大きな流れの一部なんだから。