佐賀県嬉野市にある『志田焼の里博物館』へ行ってきました。

現在残っている石炭窯では国内最大級の窯が残っており、

大正3年から昭和59年にかけての焼き物工場がそのままの状態で見ることができます。

 

 

早速中へ入ってみると、一番最初に登場するのはこの巨大な撹拌機。

この機械で磁器の原料となる『天草石』を砕いていきます。

 

 

この特殊な構造がすごい...

 

 

次に撹拌機の水槽に砕いた天草石を入れて不純物を掬い取り、

水槽の水の上に濁った水を移して細かい粘土粒子を沈殿させます

(この工程を水簸『すいひ』と言うらしい)

 

(脱水して出来上がった粘土が上に置かれています)

 

そして、強力なポンプ圧を加えて脱水し、粘土が出来上がっていきます。

粘りが増して成形しやすくするために、出来上がった粘土は隣の貯蔵庫に寝かせておくらしい...

 

次回に続きます...

 

明治初期の長持が届きました😄 とりあえず玄関でひと休み...

 

着物や布団、調度品などを入れるために使う、当時の人々には欠かせない家具のひとつ。

 両端に担金具があり、長い棒(棹)を通すことで簡単に持ち上げられるようになっています。
古色の味わいがある木肌と、錆びた黒い金具が何とも言えないモダンさを感じさせます。

こちらはごく普通の長持ちです。さて、どこに置こうか考え中...

 

渋沢栄一さんの生涯が描かれた大河ドラマ『青天を衝け』を見てから、興味を持つようになった藍染。

渋沢栄一さんが生まれた『中の屋』でも藍を栽培して染料となる藍玉を製造していました。

 

 

この『縞手本』は数年前、とある知り合いの方から明治初期の間箪笥を頂いた時、

中に入っていたものでした。表紙には『明治34年2月7日』、100年近くも手付かずの

箪笥の中から出てきたので、保存状態が良好♪

 

 

当時の布地には藍色が目立ちますね。縞の太さや色の組み合わせにより、

様々な縞柄が各家で生みだされたとか。織った縞は帳面に貼って見本帳として、

次に織る時の覚えにしたそうです。

 

 

最後のページに木桶と急須の落書きが。 

本の喉のところに『伊賀官造』と書かれているけど詳細不明。気になります…

 

 

 

和裁の小物入れとして使う、昭和初期のお針箱。

年季の入った漆塗りの紙箱で、月に飛び鶴が描かれています。

 

 

中には、昔の縫い針が入っていました。
着物などを縫う時に使う『 #みすや針 』です。

 

 

きぬぬい、きぬゑりしめ、がすくけ 等々...

種類によって使い方が違うみたいです。

 

 

後から別のブリキ箱の中から、たくさん出てきました。

母は洋裁のために少しだけもらい、あとはそのまま保管。

 

三條本家みすや針の歴史は、300年前までさかのぼること、慶安4年の1651年に宮中の御用針司となり、

1655年には、後西院天皇より「みすや」の屋号を賜ったのが始まりです。

この屋号は、清めの意味と、貴重な針づくりの技術が漏れないようにするために、

秘伝の技で仕上げる針を 御簾 ( みす ) の中で作業していたことから、

のちに後西院天皇より 『 みすや 』 の屋号を賜わったと伝えられています。

 

美しい手工芸と暮らしのサイト『つくりら』できれいに紹介されていました。

 

なんだか新たな勉強にもなったような……φ(..)メモメモ

趣味の幅が広がるきっかけとなりました。