決断する、ということ
今日は数日ぶりの晴れ間。
太陽不足で元気がなかった観葉植物たちも、朝日の当たる場所へ移動させて、少し元気になったらいいな。
ずいぶん弱っていたので。
ところで、
まだCDの注文は出来ますか?というお問い合わせをちょくちょく頂きます。
はい!もちろん!
嬉しいです。是非ご連絡くださいね。お待ちしていますー!
さてさて、
今日は友達も遊びにきてくれて、賑やかな午後でした。
私もいい気分転換が出来たし、赤ちゃんもいつもとは違う様子に何だか嬉しそう!
でも夜はいつも決まってそれはそれは淋しそうに泣くので、今日はみんなが帰った後だったのもあって、私まで淋しくなりそうでした。笑
今、数時間たっぷり抱っこして、やっとちょっとおとなしくなってくれたところです。
洗濯たたみたかったのにー!とか、洗い物終わってないのにー!とか、赤ちゃんはお構いなし。
今まではこういうの、イライラしちゃってたけど、相手が相手なので怒るわけにももちろんいかず。
今、家中がやりかけのことだらけです。笑
自分のペースを誰かに押し付けることはいけないよ!と日々教えられてます。
これで少しは寛容な人になれるかな?笑
でも、ペースは相手に合わせたとしても、その他全てのことは親である自分に委ねられていると思うとちょっと正直不安にもなります。
これで本当に大丈夫かな?いいのかな?正しいのかな?って。
毎日、小さなことから大きなことまでそんな問いかけが続きます。
本当の正しいってなんだろう?
本当の幸せってなんだろう?
数えきれない事柄に、決断をするということ。
しかも自分のことではなく、子供という一人の人間の健康や、人生に関わる事柄に。
自分のことなら自分で責任とればいい、と思い切りよくやってこれたけど、
そうではないからこそ、正しさ、というものについて深く考えます。
それは、インターネットで調べても出てこない。本にも載ってない。
人の数だけある、答え、正しさ。
マジョリティだから正しい、という判断は何か違う。
と私は思います。
* * *
ところで話は少し変わりますが、田口ランディさんの『ゾーンにて』という本を読みました。
福島第一原発の事故がテーマになっています。
その作品を読みながら、自分の今の問いとリンクするものがあった気がしました。
事故後、地元を離れなければならなかった方たち、
自ら離れる事を決断された方たち、
また、残ることを決断された方たち。
たくさんの方達が、あの震災を境に様々な決断を迫られたように思います。そしてまだ日々悩んでおられるはず。
本当は、私たちは大なり小なりなんらかの形で決断を迫られているけれど、(お昼は何を食べよう、今日はなにしよう、とか)
なんとなく流してこれた。あの日までは。
でも、あの日を境に、見えない「正しい」答えを探りながら決断を重ねる日々が続いています。
子育てをしながら、改めて震災で被災された方達のまだ続いている大変さを、少しだけ、ほんの少しだけだけど、垣間見た気がしました。
家族と一緒に住みたいけど家計のことを考えて離れて暮らす方や
多少無理をしてでも家族が一緒にいることを選んだ方。
どちらが正しい?
どちらも正しくて、どちらも間違えてない。
一度決めたらそれを周りから間違えていると言われても屈しない強さも必要なのと同時に、
盲目になりすぎないよう、耳を傾ける必要もあって。
そのバランスも本当に難しい。
子供に関する事柄もこれと近いものを感じます。
結局人の数だけある正しさの中から、悩んで悩んで、私たちはとりあえず今日はこれが正しいと思う、というものをなんとか導き出していく、その繰り返し。
それしか出来ないし、その積み重ねが生きていくっていうことなのかもしれない。
悩みそうになっても、本当に相手の幸せを思ってのことなら
きっと今どこかで歪みがあっても修正する日がくるだろう。そう信じるしかありません。
誰かを想うからこそ、決断が怖いときもある。でもその愛情こそが、私たちにとっての唯一の真実であり、正しさであって欲しいと思います。
春奈