は
に届けて下さった![]()
供花の一部です。
父が亡くなって1ヶ月経ってる今でも、
毎日想い出しながら涙してます。
10月の初旬~父の在宅
看護が始まりました![]()
から10分位
の距離の
から、
看護師さんが週に3回、
ドクターが週に1回往診にきて下さいます。
院長先生をはじめ皆さん良い方ばかりで、
特に看護師さんがテキパキとしながら、
私達家族の心のケアもして下さいました。
に介護ベッドを借りたり、
介護保険サービスの申請など
今まで全く知らないコトばかりで、
勉強になりました。
10月は、父は1日中往診以外は
リビングのソファーで過ごしたりと
フツーに生活していましたが、
11月に入ると
段々普通の食事をとるのが困難となり![]()
色んな介護食を試したり、
ボータブル
(座椅子タイプ)購入しました![]()
脳にも癌が転移してるのか![]()
せん妄も出始め、
夜中に大きな声を出したり、
食事もとれなくなり
苦しそうで涙目
になってました。
もう
で看るコトは
私達では困難になり、
往診にきてもらってる
に
入院をお願いしようと母と相談。
父は精神もかなり病んで![]()
入院は寂しいと猛反対
してたけど、
先生が説得にきてくださり、
「点滴をして良くなったら
に戻りましょう。」
の言葉に承諾しました。
先生が説得に来られた日は、
私は出社日で、
母よりLINEで
「入院を覚悟したよ。」を見た時は![]()
もう父は
に戻れないと痛感して![]()
仕事中、涙が止まりませんでした。
入院する日の夜中3:00
に
父が大声で叫び、
駆けつけると![]()
いつも以上にソワソワが止まらなくなり、
中を歩きまわり、時には奇声を上げ、
食事もとってないのに
どこからこんな力が残ってるのか![]()
不思議だった位。
きっと入院
が
もの凄く恐怖だったんだろうと。
途中母も駆けつけ![]()
そのまま朝まで父の傍にいました。
入院
も無理言って
早い時間
にしてもらい
TAXIで連れていったけど、
暴れる体力も残ってなく、
11月の3連休前、父は入院
しました。
往診に来て下さる同じ看護師さんやスタッフが、
入院
でもケアしてく下さり、
色々父の状況を
で話してくれ、
父は夜中に叫ぶ日もあったそうです。
院長より、父はもう
で看ることはできなく、
予断を許さない状況であると伝えられました。
入院翌日の父は、
点滴のおかげで一時元気になり![]()
私達と会話もでき![]()
「もう退院すんねん。」と言ってました。
早朝に私の
に「
したよ。」と電話してきて、
その後、8:00
にもう1度
があり、
「携帯の首からかけるストラップを持ってきて~」と
ふり絞る声でかけてきて、
それが父との最後の会話となりました。
看護師さんの話だと、
私に早朝に
した後、
携帯が見つからなく、
ベッドの下のごみ箱に落としてしまい、
それでストラップが欲しいと
したようです。
コロナ禍で原則お見舞いは
だけど、
予断が許さない我が家は特別配慮で、
1日30分
だけ面会ができました。
面会できても、
父の意識は混濁しており、
起きてても私達を見ている
コトはなく、
「耳は聞こえてます。家族の声は分かるのでかけて下さい。」
と言われていたので、
泣きながら
手を握って声をかけ続けました。
父も携帯を見ると![]()
保存BOXには私宛の
が残ってました。
中身はなく、
父が意識混濁の中、
送ったつもりになっていたんだと思います。
入院して7日目11/26の夜中、
父が亡くなったと
から電話が。
1日30分
は会えましたが、
昼間の面会時間
だったので、
最後を看取るコトはできませんでした・・・・。
「眠るように亡くなられました。」
と看護師さんがおっしゃったとおり、
連絡が入った後、
亡くなった父を見に
行くと、
眠っているような穏やかな顔でした。
コロナ禍でなければ、
に泊まり、
最後を看取るコトができたのに・・・。
それが一番の心残りです。
そして父は何を
したかったのか![]()
今でも胸が痛みます。
癌が判明して、
僅か1年8ヶ月で他界しました。
小細胞肺癌の恐ろしさを感じてます![]()
そして父より、死ぬコトはいかに大変かを
教えてもらいました。
父の遺志で、コロナ禍でもあり
お葬式は親族のみで執り行い。
告別式の夜、空を見たら
綺麗な
お月様が。
(満月の前日でした。)
父が亡くなったコトを
実感した瞬間でした。
元々父は、大晦日迄仕事で
にはいない人だったけど、
亡くなる数年前は一緒に過ごしていたので、
今年は寂しくなりそうです・・・。

