高野山は修業の場であったため、空海さんは女人禁制とした。
入山を禁じられた女性は、一目でも山内を見たいと結界の外側を巡ったのだろう。
それが女人道であり、7か所あったとされる女人堂である。
唯一現存する女人堂。
「不動坂口女人堂」
こちらで御朱印を授与してくださった男性が、高野山の女人禁制について、こんな風に教えて下さった。
「高野山を女人禁制にしたのは、決して男尊女卑の考えからでは無いと思いますよ」
女人禁制=男尊女卑という意識は、私は持っていなかったので、そんな風に思う人もいるんだなと思ったくらいだった。
今回は、不動坂口女人堂から女人道の一部を歩いていった。
嶽弁財天までは、こんな細い道が続いていく。
途中、大木が根こそぎ倒れていたりする。
昔は、この道をたくさんの女性が歩いていたんだなぁ。
実は、私も過去世でこの道を歩いていたらしい。
女人道を歩こうと決めたのも、自分の過去世の追体験ぐらいに思っていた。
(当時の私は、信仰心というよりも、恋しい男性が高野山で修業していたので、一目会いたかったのだ)
ちょうど大門口までの中間にある「嶽弁財天(だけのべんざいてん)」
空海さんが奈良の天河大弁財天から勧進した。
ここには妙音坊という天狗がいて、弁財天を護っているという。
高野山に住む友人が、だいぶ前にここの写真を送ってくれた。
それを見た時から参拝したかった場所なのだ。
この弁財天にたどり着く前、「ガハハハッ」と笑いながら元気な天狗さんが出てきた。
彼は「この道は女の人の歩く道だから、護っているんだ」と言った。(この天狗さんは、妙音坊ではありません)
それは心強いと思い「ありがとう」と感謝した。
ところで、高野山を女人禁制にした空海さんは、その後女人道が出来ることを考えていただろうか。
天狗さんといい、弁財天といい、巡礼の途中の女性には、この嶽弁財天の祠がホッとする場所だったように感じた。
弁財天を過ぎて少し進むと、木立の間から壇上伽藍の根本大塔が見える。
ここでしばし手を合わせた。
この場所を過ぎて、私の中に思い浮かんだことがあった。
「この女人道で命を落とす女性も多かったんだね」
私は、思い浮かんだことを口にした。
「熊とかに襲われたりするだけでなく、高野山を追い出された僧侶崩れの男性に襲われたりしているんだね」
私の何気ない言葉に、友人があることを教えてくれた。
「昔、高野山で修業していた学僧は、問答で負けると高野山から出ていかなければならなかったらしいよ。今でも形だけ行事が残っているけど」
「僧侶とか修験者とか、なまじ力があるだけに魔に落ちると厄介なんだよね」
パートナーきみちゃんが言った。
ああ、そう言うこともあったんだね。
命がけの信仰だったんだね。
思わず手を合わせ、心から回向させていただいた。
(女人道を歩くときは、熊に注意。雨の後は道が滑りやすいので十分注意して)