昨日は、仲が良い教授に新年の挨拶がてら本を返却しに行き、飲んできた。
とても面倒見が良くて、優しく面白いので、いつも彼の周りには生徒がたくさん居て研究室はまるでサロンのよう。
本を持って研究室に行くと、女の子が3人中にいて、談笑していた。
その中でも特に目を引いた子が居たのだが、本当にしゃべり方が
せんせぇ、ゼミの振り分け見してぇ~~。なぁんで、なぁんで駄目なのぉ!
あぁ…表現するには全部かな表記にした方が臨場感でるかな(笑)
リアルにスイーツだ。
飲み屋に行って、近況を報告してる中に、ぽつりと教授が
さっきのOOさん(スイーツね)
私は片親しかいなくて、母親がどんなに苦労したのか、父親がどんなに苦しんだのかがよく分かる。
だから私は頑張っていっぱい勉強して、仕事して、いっぱい恋愛するの。
………って言って泣いたんだよ(笑)
日本語になってない!けど結構面白い(笑)
それと、最近来た女の子でね、父親が名古屋から出るのを許してくれない為に此処へ来た。
私は筑波大に行きたかったのに…!!
って号泣した子がいるんだ。(苦笑)
筑波大受ける学力があるなら、何故ここに?はっきり言ってFラン大だぞ…。
と、まあおもしろ話が出てきた。
どちらの話もきっと泣くほどの事か?と思ってしまうような話だろう。
けれども、本人達は至って真面目であり、悲しいのだろう。
何も間違ってはいないと思う。
私はいつもこのような話を直接的であれ、間接的であれ、よく聞く。そして毎回、思い出すのが新美南吉の
でんでんむしのかなしみだ。
一ぴきのでんでん虫が道々考えていました。
「私は、どうしてこんなに考えるのに時間がかかるんだろう」
と思いました。しばらく行くと、
「私はどうして人のように早く歩けないのだろう」
と思いました。
そして、たいへんなことに気がつきました。
「私は今まで、うっかりしていたけれど、私の背中のからの中には、悲しみがいっぱいつまっているではないか」
と気がつきました。
いったい、この悲しみはどうしたらよいでしょう。でんでん虫はお友だちのでんでん虫の所にやっていきました。
そして、
「私はもう生きていられません」と言いました。
「何でですか?」
「まあ聞いてください。私は何て不幸せなんでしょう。私の背中のカラの中には悲しみがいっぱいつまっているのです」
「そうですか。それはあなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです。ただ人に言わないだけですよ」
それじゃしかたがないと思って、別の友達の所へ行きました。
そして、
「まあ聞いてください。私は何て不幸せなんでしょう。私の背中のカラの中には悲しみがいっぱいつまっているのです。」
「そうですか。それはあなたばかりではありません。私も今、ちょうど同じことを考えていたところです。私の背中にも悲しみがいっぱいつまっているのです」
それじゃしかたがないと思って、また別の友達の所へ行きました。
「まあ聞いてください。私は何て不幸せな者なんでしょう。私の背中のカラの中には人に言えない悲しみがいっぱいつまっているのです。」
「そうですか。それはあなたばかりではありません。私の背中のカラの中には、あなたよりももっと人にも言えない悲しみがいっぱいですよ」
それじゃしかたがないと思って、また別の友達の所へ行きました。
こうして、お友達をじゅんじゅんにたずねていきましたが、どの友達も同じことを言うのでありました。
とうとう
はじめのでんでん虫は、まわりまわっているうちにたいへんなことに気がつきました。
「悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。これからは私の悲しみをこらえていかなきゃならないんだわ。」
そして、このでんでん虫は、もう、なげくのをやめました。
そして、時間がかかっても自分で考えることにきめました。
そして、前よりもゆっくりと、自分の早さで歩きはじめました。
別に人に感情を出すのは悪い事ではないと思う。特に辛い事があった時に人に言えるのは良いことだとも思う。
けれど、なぜか人間は自分だけが…という感覚に陥る時がある。
でもみんな…戦ってるのだ。
教授、御馳走様でした。