前回コメ欄にコメントいただいた方から、改めて内省する機会があったので私の心情吐露して見たいと思います。そして多分に私信ですのでw



誰かを愛したい、なんてとても大仰に聞こえますが、確かに愛は存在していてそれが人類の歴史に大きな影響を

与えていると思います。といっても私には実感する事ないですがww


しかし、マスメディア媒体を介してそれこそ毎日のように男女間での 愛してる は溢れ返ってるようにも思える。

その取り上げられ方は誰しもが現実には不可能だからこその願望が映し出されてるような物で、やっぱり日常的には、愛なんてSFチックな物でしかないのかもしれない。


広義的な意味合いでの愛情は目で確認する事が出来るが、(人類愛と環境保護とかそれをスローガンとし改善しようとする行動は愛だと思う。私はねw)
男女間での愛情や家族への愛情は私にとってはまさにSFの世界なのだ。


身近な人への愛情の示し方が独りよがりなのでは と感じる事があると書かれていたが、それってすごく真っ当な意見だと思うのだ。


だって相手だって思考するし嗜好が違う全く一緒の共感が出来る生き物ではないからだ。むしろ、そんな考えが当たり前に出来るのがすごく羨ましくなった。本当に大事に思える人が身近にいる人だと思ったから。




愛情を示すのは私にとっては、私の一番デリケートな部分をさらけ出す事と一緒で、ついつい私はそれを示した事で対価を望んでしまうのですが。それ以前に、私は身近な人たちと親密になればなるほど苦痛でたまらなくなる人間です。(笑)


私はあんまり他人と共感する事を重視していないし、お互いの個人情報を開示する事が信頼、信用の証だと出来ないのです。むしろ苦痛。



これは誰であってもです。 なので、本当に辛い悩み事は旅先であった、もうこれから二度と合わないような人に訥々と語るような事が多々あります(笑)


なんでなのかは分かんないけど。でも居心地が良くないし、努力してみたけど改善できなかった私の個性です。


家族であっても、です。私も家族とは気まずいままの28年間を過ごして来て大学からしばらくの間一人でやってきたけど、母親の精神疾患の看護のためと、諸々重なって今年の4月から実家で過ごしてます。


正直毎日が戦いです。私の母親は超がつく程のDQNで、気に入らない事があると平気で、結婚なんかするんじゃなかった。子供なんか本当は欲しくなかったと言ってしまうくらい。


小学校に入って、友達の家に遊びに行き始めるようになって、初めて父親と母親って会話するものなのか…!

と衝撃的だった事を今でも覚えています。ww


正直私はずーっと大人の愛情に飢えていました。それ故私は先生にずっとべったりな人生を送るはめになったのですが、ぶっちゃけメンヘラですよw今から考えるとその時の思考回路は境界例人格障害者そのもの。

目の前の大人に好かれる事に必死でした。でも、そんな私に転機が来たのは大学生の時です。



イギリス文学史を一年の時に取っていたのですが、その先生が私のレポートを気に入ってくれて、顔を覚えてくれ、私に色々話しかけるようになってきたのです。学部生時代からちょくちょくご飯や飲みに連れ出してくれたりもするようになって、いわばまぁ恩師なんですが。


そんな先生から、 君を見てると 私を見てって全身で言ってるようだ。と言われまして…(笑)

その先生が次の授業の時に取り上げたイギリス演劇がそんな私を代弁するかのような主人公で。



その時に初めて、私は愛情に飢えていた事に気付かされました。

その後合う回数は少ないけど先生と会う度に、自分の思いが溶けていくのがわかった。

いじめられた事も社会学を通して、腑に落ちる事が出来、授業を介し、自ら意識して本を読んだり、漫画を読んだりし、私は自分のセラピーを行っていったんです。


特に家族関係に関しては漫画、薔薇のために、の主人公の義理の姉である芙蓉が言った


お母さんの事、憎んではいるけど嫌いではないのよ。


と言ったセリフに共感しました。そう、知識がついた今だからこそ考えられるパーソナリティが見えて、母親も辛かったのだと思えます。




そこから、ようやくスタート地点に立つ事が出来たと考えてます。




今まで自分で精一杯だったけど、やっと他人に対して考える事が出来るようになりました。

私にとっての愛情を示す事は、その人に対して質問するって事。理解しがたい事だとは重々承知ですww


愛情の示し方なんて極端な事言ってしまえば、みんな独りよがり。


でも、その人自信の軌跡が垣間見える感じがして、デリケートな部分まで見せてくれてる感じがして、そんな独りよがりを体言してくれるのはとても幸せな事だと感じるよ。



なんだか今回もすごく変な文章。ごめんね