やっぱり人間目の前にやらなきゃいけないことはある。
暑いとか
10円高いとか
泡が少ないとか
多いとか
すべての時間をそういうことにのめり込んで
感情の起伏とかもろもろ
自分の変化を楽しんで
いくこともできる
逆に
人間は客観視できる
計量化できる
できているのかは
よくわからないけど
できるということになっている
ちょっと頑張ったら
主観である根拠そのものもそういうふうに捉えられそう
な、気がする
で、そういう見方で常に何もかもを考えながら生きていくことも
たぶんできる
外生的なショックを受けたりするとこのミクロとマクロの焦点は変わったりする
たとえば
気持ち悪いくらいに
視線で描画とかする勢いで手に取れない
目に見えない
世界の話を哲学書で読むとか
卒業をかけてテストに追われるとか
電車賃が足りないとか
映画みるとか
影響されれば
自然に
脳みその焦点は
調節されて、なんかその
世界観に浸るとか
所帯染みたりとか
いろんな自分をみる
たぶんその調節が内生的な意志で意識的にできたら
楽しいというか、
いろんなことが
見える気がします
少なくともそうしないよりは
ただ、やらなきゃいけないときの現実逃避ぐせがあるわたしとしては
もうちょっと
時と場合に合致した
フォーカス機能が使えるよう
カスタムしたいところです
まじー腹減ったー
なに食おっかな?
暑いとか
10円高いとか
泡が少ないとか
多いとか
すべての時間をそういうことにのめり込んで
感情の起伏とかもろもろ
自分の変化を楽しんで
いくこともできる
逆に
人間は客観視できる
計量化できる
できているのかは
よくわからないけど
できるということになっている
ちょっと頑張ったら
主観である根拠そのものもそういうふうに捉えられそう
な、気がする
で、そういう見方で常に何もかもを考えながら生きていくことも
たぶんできる
外生的なショックを受けたりするとこのミクロとマクロの焦点は変わったりする
たとえば
気持ち悪いくらいに
視線で描画とかする勢いで手に取れない
目に見えない
世界の話を哲学書で読むとか
卒業をかけてテストに追われるとか
電車賃が足りないとか
映画みるとか
影響されれば
自然に
脳みその焦点は
調節されて、なんかその
世界観に浸るとか
所帯染みたりとか
いろんな自分をみる
たぶんその調節が内生的な意志で意識的にできたら
楽しいというか、
いろんなことが
見える気がします
少なくともそうしないよりは
ただ、やらなきゃいけないときの現実逃避ぐせがあるわたしとしては
もうちょっと
時と場合に合致した
フォーカス機能が使えるよう
カスタムしたいところです
まじー腹減ったー
なに食おっかな?