私が、見るものものは私である。
私達がこの地球に来たのは己を知り受け入れ
愛を体現する目的もある。
個人という枠に入り、他者を見て自分を知り
統合し大いなるものの(単一)なんだと受け入れる。
バスや電車に乗り合わせた人もまた自分を移す鏡であり
過去世で関わりがあったかもしれない人なのだ。
「袖すりあうも多生の縁」とはこのことだ。
もし、言い合いをしている人・怒っている人を見たら
自分の中に怒りをかかえていないだろうか?
嫌われたくないばかりに本当は腹が立っていたのに
言わないで抑圧し、心の中で怒りの言葉を吐いていな
いだろうか?
と自問する機会だ。
人は、誰にでも直観(第六感)がある。
話している人が嘘をついている時なんとなくわかること
があるだろう。
なんかおかしいなと思いつつも、あえて触れず話を
合わせて、この人は嘘をついている。
うそつきなんだと心で見下していたら
あなたも嘘をついているのである。
嘘ではないか、何かがおかしいと思いながらも相手に
合わせて話をしていたなら、自分も同じになってしまう。
それを、他の人に○○さんは嘘をついていたなどと
言っていたら、ちょっと噂話のつもりだろうが
嘘の会話の相方であり、人の陰口であり、人を見下すと
いう行為の重なりであなたのエネルギーは下がる。
もし、この人は嘘をついているのは?と感じたら
「失礼かもしれませんが、あなたの話を聞いていると
私はなにかがおかしいと感じるのです。
確認させてください。
○○このことは、○○ということですか?」
などと自分が何かがおかしいと感じていることを正直に
言うほうがいい。
もし、あなたの周りで親切な人・思いやりのある人を
見るならあなたにもその性質があるのだ。
そして、あなたの憧れる人、尊敬する人の性質も
あなたにある。
自分には、そんな性質も才能もありません。
とよく言うが、気づいていないだけである。
自分の見るものが自分ならば、自分で選択できるものは
美しいもの・楽しいものにしたほうが良い。
知識を得られる番組を見ているだろうか?
それとも、心を暗くするニュースや人を騙したり暴力の映像を見ているか。
花や木、自然を意識して見ているだろうか。
良書を読んでいるだろうか。
友達との話題もお互いが気持ちよく楽しくいられる話題が
多いだろうか。
食事は、食べ物に感謝し、心地よく食べているだろうか。
どうか、日々の生活に少し今までと見方を変えて見て
いただきたい。