命を削るようにして
延々と繰り返される 愛の学び
不安の欠片 ひとつも
残らなくなるまで
相手を 宇宙を
心から 信頼できるまで
絶望と希望が 交互に訪れる
✵ ✵ ✵
どうして こんなにも
二人は愛し合っているのに
共に 生きる事が出来ないのか
立ちはだかる 現実の壁に
すべてを諦めようとしても
愛する想いを 止めることが出来ない
...
いつだって 臨界点
限界を超えた先に
また 新たな限界を見る
触れ幅が大きくなるにつれ
次第に愛の枠も大きくなっていく
宇宙が どこまでも無限であるように
愛に 枠も限りも無いことを
運命に諭されて 目覚めていくように
✵ ✵ ✵
この道は 絶望を見るためでなく
希望を見出す力を取り戻すための
天が授けた 究極の愛のプログラム
愛し愛される喜びを 体現できる日まで
...
二人の真実の未来のために
いまここに 在ることを
Twinray’s Love is Forever
Ꮇ♰Ꮓ
✦ː──────────
***
だいぶ自分が整理されたなぁ。と言うのはあります。
まぁ、私の場合。
ブレイン(脳)を外注している。と言うか。
現場人間と言うか……。
「前線で切り込んでいく」ことに特化してしまった感じです。
1 戦場で敵に直接向かい合っている所。戦闘の第一線。「—で戦う」「—に送られる」「最—」
2 仕事や運動などの第一線。「セールスの—に立つ」
3 異なった気団の境界面と地表との交線。これを境にして気温・気圧・風向・風速などが急に変わり、悪天候を伴うことが多い。その運動によって温暖前線・寒冷前線・停滞前線などに分ける。不連続線。「梅雨—」
4 《3に似るところから》地図上で、ある現象の起きる日、時刻などを結んだ線。桜の開花日を結んだ桜前線、紅葉日を結んだ紅葉 (もみじ) 前線など。
5 異なった二つの海流または水塊が接触する場所。
6 サッカーで、ピッチの中盤よりも相手のゴールに近い部分。
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自分で考えない。と言う意味ではありません。
私は自分で決めたいのです。
その責任を負うのは私です。
最終決定権は私なのです。
ただ……。
やっぱりブレイン(脳)を外注しているところもあります。
向き不向きがあるのです。
私は感情でこなす女なのです。
新しい公式を作るより海に飛び込んじゃう子なのです。
今から航海術を学びたいとは思わないのです。
でも、あんまり当てずっぽうでも行って帰ってくるのに時間がかかります。
ええ。ずいぶん学ばされましたよ。
失敗から。
だから地図はいるみたいです。
精度の高い地図を希望します。
まぁ。
それは貴方が繋げてくれました。
繋がった縁が消えないことに絶望したこともありました。
だけど、やっぱり。
それは私の願いごとなのです。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈
あなたの願いのかけらです
あなたも願いのかけらです
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時々、精度が高すぎてやっぱり学びが必要になります。←
それは逃れられないようです。
経験でカバーできることもあります。
とりあえずわからないままに、のちになって理解できることもあります。
また。
わからないことはわからないままでも、とりあえず地図そのものは信頼します。
***
よくまぁ。
ここまで来たものです。
***
「優しさ」ってなんでしょうね。
[形][文]やさ・し[シク]《動詞「痩 (や) す」の形容詞化で、5が原義》
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「—・い顔かたち」「声が—・い」
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「—・く慰める」「—・い言葉をかける」
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。「気だての—・い子」
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。「地球に—・い自動車」「肌に—・い化粧水」
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
「なにをして身のいたづらに老いぬらむ年のおもはむ事ぞ—・しき」〈古今・雑体〉
6 控え目に振る舞い、つつましやかである。
「繁樹は百八十に及びてこそさぶらふらめど、—・しく申すなり」〈大鏡・序〉
7 殊勝である。けなげである。りっぱである。
「あな—・し、いかなる人にてましませば、味方の御勢は皆落ち候ふに」〈平家・七〉
[派生]やさしげ[形動]やさしさ[名]やさしみ[名]
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あんまり考えたことありません。
その辺は私の7人目のツインフレームの彼女です。
HPを探しました。
世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説
ツインレイの『本来の自分に戻る』の意味と自己統合の関係性
2023-09-25
ツインレイは、ツインレイのステージを終えた頃には『本来の自分へ戻っている』状態になります。
では、この本来の自分に戻る——とは、どのようなことなのかについてです。
...
~中略~ 私たちは心で捉え、心で感じ、心で学ぶことが出来ます。
私たちは人に感情を教えられることがなくとも、感情を知っています。その感情とは怒りではありません。苦しみではありません。憎しみでも、嫉妬でも、不安でもありません。
私たちが知っている感情は『喜び』や『楽しさ』など、もっと軽く、地上で楽しむ人生を歩む感情です。
その感情を持って生まれてくることになりますが、私たちはネガティブな感情を親から『学習』をし、その感情を当たり前のように使っていますが、ツインレイたちはその感情に苦しみ続けています。
本来の私たちとは、感情に苦しむことがありません。
嫉妬で苦しむこともありませんし、怒り心頭となり、人を殴ることでもありません。
私たちは、感情のままに生きることを望んでいますが、感情で自分を含む誰かを苦しむために感情のままに生きることを望んでいません。
...
ありのままに存在する自分を、私たちは全否定をしてきました。
それは、ありのままの自分では愛されない——と理解しているために、私たちは、いい子の顔をして自分を押し殺すことになりました。
ありのままの自分を表現すれば、人から煙たがられ、間違っている——と指摘を受け続けるために、私たちは『自分が間違っている』と思うのです。
『自分が間違っている』とは、たしかに間違えているのです。最終的にツインレイへたどり着く人たちは『自分が間違えていることを受け入れている人たち』なのだと思います。
自分が正しい人たちに新しい道はありません。自分が間違えている人たちには間違えていると自覚がある部分にだけ正しい道が示されていきます。
ツインレイたちは『多くのネガティブ』を引き受け、そのネガティブを最大限に肯定をし、内包したとき、ツインレイが『本来ある自己肯定』を取り戻すためのステージへと切り替わっていくことになります。
...
ツインレイと出会うことは異常だと思います。その感覚を私たちはどれだけ肯定的に捉えられるのでしょうか。
自分が間違えている人生だったのだ——と、どれだけ受け入れることができるのでしょうか。
そして、自分自身が異常であり、自分の人生はすべてが間違いであったと受け入れ切ったとき、私たちは、その異常であり、間違いである自分自身を愛することができるようになります。
私たちは、そうやって『自己愛』を生み出していくことにもなります。
ツインレイにとって本来の自分とは、従来の捨てられた自分です。
いらないと切り捨てた自分は、誰かのために切り捨てました。しかし、もう誰かのために自分を切り捨てなくても大丈夫な境地へ至ります。
私たちは、誰かのために生きることも、自分のために生きることも同じことなのだと気づいていくことになります。
失敗も多くありますが、私たちは『自分らしくいること』が、人のためにあるのだと知ることが出来ます。
しかし、この『一度本来の自分を捨てていない』状態で、ありのままの自分を前回に出し続けていくと問題になります。これが『闇』です。
本来の自分と思っているものが、実際は本来の自分ではない——。その状態で、闇は『本来の自分だ』と思い込んでいるにすぎないような状態でもあります。
闇が持つ本来の自分とは、誰かが息苦しい善悪二元論の世界にあります。
この世界観は、私たちにとって『従来の世界』でもあります。
...
最終的には『本来の自分だけ』が残ります。
幼い頃には、本来の自分であることは悪いことでした。本来の自分は常に否定され、環境から善悪を学び、そのなかで『善』と呼ばれる自分へなっていくことが社会性を身に着けた私たちです。
しかし、今度の世界線では、本来の自分でなければなりません。
本来の自分でなければ、上手く回りません。本来の自分にならざるを得ないような状態へ陥り、私たちは還るしかありません。
もちろん、社会性を身に着けることになった私たちがなかったことになるわけではありません。
私たちの社会性はいつだって優しい自分がそこにいました。その優しい自分の中にも『自分』が存在しています。
ツインレイは、大事なものだけをずっと抱えています。
それは良心です。一番に捨ててはならないものです。
私たちは、いかなることがあったとしても、良心ある判断をしていくことが自分の心に従うことでした。
その良心が叶うときがやってきます。
それが『ツインレイ』。