そもそも、ツインレイを語って「己が人の上に立とう・導こう」と言うその発想の時点で | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

負けていることに気がついて欲しいですよね。

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それこそが、もはや文字通りの「負け犬の遠吠え」になってしまうのかもしれません。

 

【読み方】
まけいぬのとおぼえ

【意味】
負け犬の遠吠えとは、争いに負けた者が、負けを認めない主張をしたり、陰で悪口を言ったりすることのたとえ。

【注釈・由来】
「遠吠え」とは、犬などの動物が遠くで声を長く引いて吠えること。
喧嘩に負けた犬が、遠くまで逃げてから吠えるようであるところから。

 
 
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だって、それ「経験しているから私の方が上・偉い」みたいな。


究極で言ったら「善悪二元論」の延長です。
 
「ツインレイは光と闇を超越する」と言う話は“光VS闇=どっちか1つ”ではなく、「光と闇は対等であり、2つで1つ」と言う意味なのかな?と改めて考えてみました。
私の7人目のツインフレームの彼女は、
「善悪二元論から二元性へ概念をアップデートすること」と言いました。
彼女の渾身のなっがい文章をまぁまぁ持ってきました。
こう言う説明は彼女の方が得意だからです。

二元性による分離とは

二元性による分離とは、従来、相容れることがないものを『相容れる存在として分離させることができる』ということだ。

善悪二元論の時には理性によって『嫌いなものを自己のなかから排除する』ことになるが、二元性の段階では自らのなかに嫌いなものが存在していない・理性によって抑圧していない段階によって分離させていくことになる。

自分を補ってくれる存在を分離させていく状態になる。

やりたくないことは「やらない」し、やりたいことを「やる」。が徹底されていくと、最終的に「やりたいくないこと」が分離していく。やりたいことだけが自分のなかに残るということだ。

やりたくないことが外部に発生しているが、それが「他人がやってくれること」になる。二元性による分離とは『補い合い』により生じ、補い合うときに『できる』『できない』ではなく『やりたい』『やりたくない』という分離になっていくため、より相手を受け入れやすくなる。

やりたくないことをやってくれる存在がそこにいてくれることになるからだ。


二元性とは『共存』であり『補い合い』になっていく。

 

 
もちろん、区別のついている人もいます。
そう言う人にはこう言うことは思いません。
 
 
 
 
 
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カルハのツインレイに向けた、

「自分と向き合いたくない」救済講座

~その19~
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次回もお楽しみに ⸜(* ॑꒳ˆ *  )⋆*♡