「引き寄せ」っていい事のように言われているけど、『己にとって都合のいい事しか受け入れたくない』と | 「向こうの景色を見に行こう」 ※注 ブログ内容編集中→必要記事を下書き(非公開)にしています。

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

も取れるようなぁとか考えていたのですが……、

 

『神との対話』シリーズの著者 ニール・ドナルド・ウォルシュ の言葉に行きつきました。

 

 

***

 

『引き寄せで人生思い通り』って、

・イレギュラーはいらない
・想定の範囲内でしか欲しくない

と言うニュアンスを感じることがあるのです。
なんでしょう。見知った中で同じことを繰り返している。と言うか。

これが美味しいと知っているからそれだけずっとリピートして買って食べてる。他にはいらない。

みたいな「己が結果のえり好みをしているだけ」のようなもの。です。

まぁ、実際のところは本人の認識できる範囲でしか理解できない。と言う現実もあるのかもしれません。


あ、別に夢を描くことを否定している訳ではありません。
人の可能性を信じることだっていいと思います。
叶わない夢はない。
不可能を可能にする。
それもありだと思います。


ただ、とにかく引き寄せをもてはやしている人の中に、
「己にとって都合のいいことしか受け入れたくない」だけなのでは? と思うことがあるのです。

そうなると疑問があります。

例えば、本人の想像力を超えるものはやってこないのでしょうか?

「井の中の蛙大海を知らず」
みたいなことにはならないのだろうか? とも思うのです。


***

あと、別件で、ちょっとな。と思うことがありました。
それについてうまいこと説明している名言でもないか。と探していたら、

 

何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ。それが「わたし自身」を表現しているだろうか。ということだ。
 
ニール・ドナルド・ウォルシュ
 
と言うのを見つけました。
 
これだ。と思ったので、この人誰だろう。と調べました。

 

ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsch、1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の著作家、ラジオDJ、企業家、精神教師、俳優、脚本家。『神との対話』シリーズの著者である。

 

 

ぉおっとぉ……。←

じゃぁ、待てよ。と思ったら、どうやらこの一文は、『神との対話(2)』から来ているようです。

なるほどぉーφ(゚Д゚ )フムフム...。

……。
そうなると、この一文はどっちの言葉なのか……。

しかたありません。
古本屋に走りました。←
新品で買うのはちょっと……。
なかったら通販で買うか。

ありました。←

 

 

第2章 にある言葉のようです。
ちな、全文は長いので一部抜粋です。

 

それでは、もういちど教えてください。 わたしの選択が現実として創造されるまで、どうしてこんなに時間がかかるのですか?

理由はたくさんある。選択したことが実現すると、信じていないから。何を選択すべきか、わかっていないから。選ぶ前に、「最善」は何かと考えてばかりいるから。自分の選択がすべて「良い」ことを、前もって保障してもらいたがっているから。そして、いつも気が変わっているからだ!

そうすると、自分にとっての「最善」とは何か、考えてはいけないんですか?

「最善」というのは相対的な言葉で、一〇〇もの変数に左右される。だから、選択が非常にむずかしくなる。何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ、それが「わたし自身」を表現しているだろうか、ということだ。「わたしがこうあろうとする自分」を明確にすることになるだろうか?
人生のすべては、自分の表現であるべきだ。事実、人生とはそういうものだ。いきあたりばったりの表現にしておくか、自分が選択する表現にするか、それはあなたが決めればいい。

――――――――――
神との対話(2) ニール・ドナルド・ウォルシュ 吉田利子[訳]
1998年7月24日 第4刷発行
P33

 

※注 一〇〇もの変数に左右される。
 →「100」かな? と思います。

 

選ぶ前に、「最善」は何かと考えてばかりいるから。
自分の選択がすべて「良い」ことを、前もって保障してもらいたがっているから。


あー。
なんとなく私が世間がもてはやすほどには「引き寄せ」と言うものに引かれないのはこれかな。と言う感じです。


やっぱり私は、

何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ。それが「わたし自身」を表現しているだろうか。ということだ。

この言葉が好きです。


***

あ、一応そこにあったので(1)と(2)と買いました。

読むかどうかは、わかりません。←