自分でネット調べられる以上、相手を無知だと思って『己が都合のいい事を刷り込ませよう』には限界が | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

ある訳です。

***

 

 

そして、私たちは、「誰かが言っているから(人に言われたから)」“だけ”ではもう、己の責任から逃れられないのかもしれません。
 
 
己の決断に責任を負う。
 
 
それが私との約束なのです。
 
 
 
 
 

****************************************

***

 

 

……。
で、その責任を分かち合える唯一の相手が貴方なのでしょうか……。

なんで、私はいつもこう……。
なんとなく後ろ向きな感じなのでしょうか……。←

もうちょっと、こう、貴方と会えて幸せ♡ みたいな感じですよね?

ほら、<病める時も健やかなる時も…>みたいなやつですよ。

どうしてこう私ってば、「死なばもろとも」みたいな……。
どうしても崖っぷち。みたいな……。


ちょっと「死なば諸共」を調べましたが、類語で「道連れ」「一蓮托生」とか出てきました。
……ちょ、一蓮托生ならまぁ、……。
どうなのよ?

 

いちれん-たくしょう【一蓮托生】
よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮はすの花の上に身を託し生まれ変わること。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすること。▽もと仏教語。「托」は、よりどころとする、身をよせる意。「託」とも書く。

 

 

>事の善悪にかかわらず
ま、まぁ、いいのかな?←