貴方は私に水をくれるのです。
でも、私には蕾もないのです。自分にどんな花が咲くのかもわかりません。
貴方の理想の通りに咲けるのだろうか?
まず、考える訳です。
貴方は水をくれます。
もし、私が咲いたら、貴方は違う花に水をあげに行くのだろうか?
もう、仕事は終わったかのように。
だったら、このまま。
ずっと咲かないままでいれば、貴方はずっと水をくれるんじゃないか。
このままずっと、私の所に来てくれるんじゃないか。
とも考える訳です。
でも、水をあげただけ成長しなかったら、それはそれで見込みがない。
と、やっぱり他に行かれても困ります。
私は貴方に望まれているのです。
それにも応えたいのです。
私は貴方から水が欲しいのです。
それがないと、もう、生きていけないような気がするのです。
でも、貴方の理想に応えられるのだろうか?
と、そればかり考えます。
このままでもいいんじゃないか。
咲かないままで、ずっと。
咲かない私に貴方は水をくれるのです。
……咲いた私に、水をくれる保証はありません。
そんなこと考えたくはないのです。
貴方は私のために、水をくれるのだ。
ずっと。
と、それも感じるのです。
私は、貴方のために咲きたいのです。
去年、コスモスが咲きました。
私は、父が借りてきた畑の一角を私の花畑にしているのです。
カップケーキコスモスと言うもので、形がかわいいと種を買ったのです。
私はコスモスに背中を押されて、ココナラのブログをはじめました。
このブログはその時、更新を終えていたからです。「私が私である限り。」
次に咲いたのはハートのコスモスです。
どうしてそう咲いたのかは今でも不思議です。
ハートはかわいいです。それは嬉しいです。
ただ、実はちょっと残念にも思いました。
私が求めていたのは、カップケーキコスモスを知った、こっちの形でもありました。
だから、「そうじゃない。」みたいな。
どうしてそうなった。と、正直、その気持ちもありました。
でも、きっと。私はあの時、感じたのかもしれません。
ー咲いたその姿が、美しいのだー
と。
それは、見本や、理想の通りではなくても、いいのだ。と。
そして、ハートのコスモスに背中を押されて、私はツインレイを発信しようと決めたのです。