2010年8月12日~16日*花**花*

ハネムーンでマリアナ諸島のサイパン島へ

行ってきました。

最初はただ単に

「南国での~んびり、ゆっくりしたいね~音符

と言うことで近場のサイパン島に急遽決定しました。

最初は「近場の南国」という認識しかなかったサイパン島が

実は日本ととっても深い関係があったことを知らなかった自分に

とっても恥ずかしく、そして日本人としての自覚を植えつけてくれる

とてもいい機会になりました*花**花**花*

と言うわけで、旅行記の前にサイパン島と日本の繋がりを

みなさんにも知って頂きたくちょっとだけ触れさせてくださいO★

***ご存知の方や興味のない方はスルーしてくださいねウインク***

ではさっそく。

第二次世界大戦、30年間サイパン島は日本の統治下

にありました。

日本は原住民に強制的に日本語や日本の文化・歴史を

教え、第二の日本を作ろうとしていました。

**韓国だけじゃなかったんですね・・・困**

そのため、共通語の「チャモロ語」には未だに日本語の古い表現が

残っているそうです。

・オンブ、ゲタ、オシイレ、ベンジョ・・・

などは未だに同じ意味で使われているんだそうです意外

でも、もちろん悪いことばかりではなく日本が統治していた時代

産業や経済はとっても潤っていたようで現地の方々はそのおかげで

生活にも張り合いがあったと言われていますstar+kira*star+kira*

学校ができたり、日本の工場に携わる住民向けには病院が充実したり・・・キラキラ

いろいろと。

主にサトウキビと製糖産業が一番盛んでサイパン島には

野口英世さんの次に世界でも珍しく銅像が建てられているのは

「砂糖王」と呼ばれた松江春治さん。

それも敗戦後は撤去される予定だったのが、現地の方々に尊敬をされていた為

強い意向のもと現在も建立られています。

**松江春治さんの銅像にも生々しい銃弾の跡がたくさん刻み込まれていて

  当時の面影をそこから感じることが十分にできました。**

と、ここまでは日本の歴史としていろいろと勉強してきた中にも

聞いたことがありましたうーん

今まで教科書でしか触れることのなかった現実が今回の旅行で

一気に私の中に入り込んできて、日本人としてもっと戦争に対して

歴史に対して、目を向けていかないといけない。と実感しました。

島内観光をしていく中でまたまた聞き覚えのある地名が。

「BANZAI CLIFF」バンザイクリフ。

そこは海に向かって突き出たサイパン島最北の崖。

数十メートル下は荒波の海でした。

それを見て観光の本にもガイドさんの案内にも何度聞いても

考えさせられました。

「天皇陛下 万歳!!」

「日本国 万歳!!」

と叫びながら、女性や子供が万歳をしながら飛び込んでいったそうです。

アメリカ兵に捕まって捕虜になるくらいなら。と、お国のために自害する事が

日本人としてのあるべき本当の姿である。と信じて疑わなかった当時の人々。

ある人は子供を抱えながら。

ある人は子供を先に行かせ、後から母親も飛び込む。

そのことを考えているだけで、本当に涙がこぼれる自分に

今までの「知っている歴史」が「現実にあった歴史」として

私の中に入り込んできました。

バンザイクリフが女性子供ならば

「スーサイドクリフ」は男性兵士たちはその後ろにある

断崖絶壁から命を絶ったそうです。

サイパン島からはるか北にある日本に帰ることを夢見ながら

多くの兵士たちが・・・・。

サイパン島には今もなお多くの日本時兵士や女性や子供たちが

眠っているそうですほろり

そして、たくさんの慰霊碑が島のあちこちに建てられていました。

ただ、日本政府がその事実を認め慰霊碑を建てるまでに30年もの歳月が

掛かっととか・・・。

日本人として知っておかなければいけないこと。

今を生きるうえで知っておかなければいけない過去。

学校の机の上だけではわからないことがたくさん。

教科書からだけでは学べないことがたくさんわかりました*花*

ハネムーンだったけど、楽しいことだけじゃなく

学べることがたくさんあるいい旅行でした好

長々とお付き合いいただいて、ありがとうございましたハート

megu