まず、危篤から亡くなるまでの事です。
8月の半ばから、医師からは余命ゼロ日と言われていました。
結核からの合併症からの、劇的な老化、衰弱。
8/23に、担当医と会い、病状を聞き、5分だけの面会。
意識は朦朧としていましたが、なんとなく私や次男くんがわかったよう。
8/8よりかなり痩せていました。
8/27の夜には、呼吸が止まったり、瞳孔が開き始めていると言われ、夜遅く、1人で高速に乗り病院へ。
前日に心霊番組を見てしまったので、夜の暗い高速もトンネルも、病院の暗い廊下も、震えるほど怖かった。
隔離病棟の入り口を開けてくれた看護師さんは、
『お母さん、娘さんが来ますよと伝えたら、持ち直したんですよ』
と言ったので、
『眠っているんですか?』
と聞いたら、
『いえ、目を開いているんです』と…
えっ?!どういう事?と思って病室へ。
目を見開いて、条件反射がもう出来なくなっていて、目は見えていないと思いますと言われました。
数値が低いながらも安定していたので、夜中1時半過ぎまでいて帰ることにしました。
家には知的障害者の長男くんがいるので。
でも、その病室にいた2時間半くらいに、感謝の気持ちなど、話したいことは、全て話す事ができました。
『お母さん、帰るね』
と言うと、眉間にシワを寄せ、嫌そうな顔?をしていました。
聴覚はまだ失われていないようでした。
夜中3時過ぎに帰宅して、なかなか寝付けず、やっと寝たと思ったら、朝5時に病院から電話で、また危ないから来られますか?と。
blogには書いていなかったけど、本当に頻繁に病院から電話があり、その都度行っていたら、私が疲弊して事故りそう。
兄も、そんなに無理して行ったら、ももが事故でも起こして死んだら、元も子もないから、無理しなくていいよと言われました。
兄は北海道なので、亡くなってから動くと。
本当に遠いだけに、私も了承していました。
ひとまず落ち着いたようで、寝ていないながらも、仕事に行き、全て切りを付けました。
夕方近くも病院から電話で、時が来たかと思ったら、落ち着きましたと。
そんな電話いらーん💦
帰宅して、夕食とお風呂を済ませ、とにかく今夜は早く寝ておこうと、病院からの電話もなかったので寝ました。
8/29、次男くんを仕事に送り出し、母の面会に行こうと思っていましたが、ひと息ついていたら、病院から電話。
危ないと。
病院までは高速乗って、約2時間なので、話す事は全て話したし、焦らず病室へ向かい、昼間から夕方まで、母についていました。
低いながらも数値は安定。
目は見開きっぱなし。
もう反応はなかった。
虫の息でした。
知的障害者の長男くんが、フラフラして来たので、他の病室に入ったり、マスクを外したら感染の恐れがあるので、一旦帰りますと帰宅。
帰宅して間もなく、病院から電話で、心臓が弱まったと…
『今、帰ってきたばかりで💧』
と言うと、もっと危なくなったら電話しましょうか?と言われ、そうしてもらうことにしました。
それから30分後にまた病院から電話で、心臓が止まりましたと。
は?
亡くなったと言わないので、
『えーっと、心臓が止まったと言う事は、全てが止まったと言う事でしょうか?』
と聞いてしまいました。
看護師さん、『はい』と。
『亡くなったという事ですよね?』と聞くと、
『ご家族と担当医で確認するまでは、死亡確認が取れません』と言われ、次男くんも仕事から帰ってきたので、3人で向かい、8/29ギリギリに死亡確認となりました。
上を向き、目を見開き、口を開いて亡くなっていました。
お母さんの肩を撫で、『良く頑張ったね、本当に良く頑張った』と、声を掛けました。
荷物をまとめ、死亡届を書き、先生や看護師さんにお礼を言い、結核の感染症で亡くなっているので、葬儀屋さんが納体袋に母を入れ、葬儀屋まで行き、夜中3時くらいまで、兄にビデオ通話で話に加わってもらい、直葬の話し合い。
帰宅は、日曜日の朝の5時前でした。
帰宅して、お風呂に入って寝ました。
泣いてる暇もない。
#母の事
