今日は野球ナシの月曜日。。。
仕事もそんなに忙しくないので、事務所で昼休憩にペタ返しをして
一部の人のブログにコメを入れ~の、ツイッターをして過ごした。
んで、仕事も早く終わり夕方6時過ぎには家に帰っていた^-^
まずは、ペタ返しの続きをしてからピグの釣り三昧をしていた。
クリオネ祭りのアイテム、手持ちぬいぐるみのゲットがまだなので
石狩川でアメマス狙いの途中である。
期間内にゲット出来るのかどうか心配だ~ァ汗
今回のアイテムゲットはみんな時間かかってるみたいだァ・・・
そういう設定になってるのかもしれない><:
今日は、ダンス系の動画紹介弟4弾として紹介します。
SUPER CHAMPLE (2006-2009)
中京テレビ (水)24:29~24:59 OA
日本テレビ (木)25:08~25:38 OA
詳しくは公式HPでどうぞ^^
http://www.ctv.co.jp/chample/index.html
めちゃソウルフルでファンキー!!
続いて今日の1曲
Marvin Gaye (1958-1984) - What's Going On (1971)
アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身のソウル・R&B歌手。モータウンレーベル出身。ソロシンガーとして高い評価を受ける一方で、常に独創的なアイディアを持った先駆的な楽曲を数多く制作し、生前は言うに及ばず、没後も多くの黒人ミュージシャンを含む、世界のミュージシャンに大きな影響を与え続ける偉大なクリエイターである。
モータウンに所属していた初めのうちはドラマーとしても活動しており、同レーベルに属した優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。この経験は後に、楽曲を制作する際に、適材を起用し、演奏者の技術を最大限に引き出すという部分に生かされていくこととなる。特にベーシストであるジェームス・ジェマーソンは彼の作品に大きな貢献を果たし、数々の作品を生み出すこととなる。やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか"I Heard It Through the Grapevine"(「悲しいうわさ」)、"Can I Get a Witness"(「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィッネス」)、"How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(「ハウ・スウィート・イット・イズ」)などのヒットシングルを生み出した。フランク・シナトラやナット・キング・コールの洗練さと、ゴスペルの影響を受けたサム・クックやジャッキー・ウィルソンの力強さを兼ねそろえた彼の資質は、モータウン所属の歌手の中でも、とりわけ高い人気を誇ることとなった。
特に1960年代の中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットである。息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などの現在でも愛されつづける曲を数多く世に送り出した。
しかし、タミー・テレルが脳腫瘍で夭折したことがきっかけで、一時期歌手活動を休止してしまう。パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因であった。やがて、ベトナム戦争から復員してきた弟と再会したことをきっかけにまた新たな音楽性をあらわすこととなる。
1971年、アルバムWhat's Going On(『ホワッツ・ゴーイン・オン)』を発表する。華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲やMercy Mercy Me(「マーシー・マーシー・ミー」)も大ヒットを記録する。音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの熱唱であった。当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人アーティストに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことになり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも十分に受け継がれている。
第二の黄金時代を迎えたマーヴィンは、より私小説的な内容の作品を数多く生み出していく。恋人への愛情と性への欲求を表現したLet's Get It On(『レッツ・ゲット・イット・オン』)、先妻との離婚をテーマにしたHere,My Dear(『離婚伝説』)、孤独と愛への欲求を表したI Want You(『アイ・ウォント・ユー』)などの充実したアルバムが制作・発表されたが、一方では、先妻との離婚の泥沼や二度目の結婚の失敗、本人の麻薬依存などが原因で私生活は混乱を極め、創作的な部分もかげりを見せ始めていった。
一度は破産などのどん底の状態にあったマーヴィンではあったが、彼の才能を惜しむ後援者が積極的に援助に回ってくれたことがきっかけとなり、一時期は途切れがちだった音楽活動も徐々に彩りをみせ始めた。1980年のモントルーでのライヴを皮切りに、1982年には移籍したCBSコロムビアよりMidnight Love(『ミッドナイト・ラヴ』)をリリースする。ミュンヘンにてレコーディングがおこなわれ、シンセサイザーを大胆に使用した本作は発表と同時に評判を呼ぶと共に、シングルカットされたSexual Healing(「セクシャル・ヒーリング」)も全米シングルチャートの3位を記録するヒットとなり、翌年の1983年には当時、飛ぶ鳥をおとす勢いであったマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーを抑え、グラミー賞を受賞するなど健在振りを見せつけた。しかし、1984年の4月1日、自宅で父親と口論になり、逆上した父親が彼に対して発砲、マーヴィンはそのまま帰らぬ人となった。皮肉にも、その日は彼の45回目の誕生日の前日にして、マーヴィンがリスペクトしたR&Bシンガー、サム・クックと同じ亡くなり方でもあった。また父親が発砲した銃は、生前彼がプレゼントしたものであった。

仕事もそんなに忙しくないので、事務所で昼休憩にペタ返しをして
一部の人のブログにコメを入れ~の、ツイッターをして過ごした。
んで、仕事も早く終わり夕方6時過ぎには家に帰っていた^-^
まずは、ペタ返しの続きをしてからピグの釣り三昧をしていた。
クリオネ祭りのアイテム、手持ちぬいぐるみのゲットがまだなので
石狩川でアメマス狙いの途中である。
期間内にゲット出来るのかどうか心配だ~ァ汗
今回のアイテムゲットはみんな時間かかってるみたいだァ・・・
そういう設定になってるのかもしれない><:
今日は、ダンス系の動画紹介弟4弾として紹介します。
SUPER CHAMPLE (2006-2009)
中京テレビ (水)24:29~24:59 OA
日本テレビ (木)25:08~25:38 OA
詳しくは公式HPでどうぞ^^
http://www.ctv.co.jp/chample/index.html
めちゃソウルフルでファンキー!!
続いて今日の1曲

Marvin Gaye (1958-1984) - What's Going On (1971)
アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身のソウル・R&B歌手。モータウンレーベル出身。ソロシンガーとして高い評価を受ける一方で、常に独創的なアイディアを持った先駆的な楽曲を数多く制作し、生前は言うに及ばず、没後も多くの黒人ミュージシャンを含む、世界のミュージシャンに大きな影響を与え続ける偉大なクリエイターである。
モータウンに所属していた初めのうちはドラマーとしても活動しており、同レーベルに属した優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。この経験は後に、楽曲を制作する際に、適材を起用し、演奏者の技術を最大限に引き出すという部分に生かされていくこととなる。特にベーシストであるジェームス・ジェマーソンは彼の作品に大きな貢献を果たし、数々の作品を生み出すこととなる。やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか"I Heard It Through the Grapevine"(「悲しいうわさ」)、"Can I Get a Witness"(「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィッネス」)、"How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(「ハウ・スウィート・イット・イズ」)などのヒットシングルを生み出した。フランク・シナトラやナット・キング・コールの洗練さと、ゴスペルの影響を受けたサム・クックやジャッキー・ウィルソンの力強さを兼ねそろえた彼の資質は、モータウン所属の歌手の中でも、とりわけ高い人気を誇ることとなった。
特に1960年代の中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットである。息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などの現在でも愛されつづける曲を数多く世に送り出した。
しかし、タミー・テレルが脳腫瘍で夭折したことがきっかけで、一時期歌手活動を休止してしまう。パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因であった。やがて、ベトナム戦争から復員してきた弟と再会したことをきっかけにまた新たな音楽性をあらわすこととなる。
1971年、アルバムWhat's Going On(『ホワッツ・ゴーイン・オン)』を発表する。華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲やMercy Mercy Me(「マーシー・マーシー・ミー」)も大ヒットを記録する。音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの熱唱であった。当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人アーティストに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことになり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも十分に受け継がれている。
第二の黄金時代を迎えたマーヴィンは、より私小説的な内容の作品を数多く生み出していく。恋人への愛情と性への欲求を表現したLet's Get It On(『レッツ・ゲット・イット・オン』)、先妻との離婚をテーマにしたHere,My Dear(『離婚伝説』)、孤独と愛への欲求を表したI Want You(『アイ・ウォント・ユー』)などの充実したアルバムが制作・発表されたが、一方では、先妻との離婚の泥沼や二度目の結婚の失敗、本人の麻薬依存などが原因で私生活は混乱を極め、創作的な部分もかげりを見せ始めていった。
一度は破産などのどん底の状態にあったマーヴィンではあったが、彼の才能を惜しむ後援者が積極的に援助に回ってくれたことがきっかけとなり、一時期は途切れがちだった音楽活動も徐々に彩りをみせ始めた。1980年のモントルーでのライヴを皮切りに、1982年には移籍したCBSコロムビアよりMidnight Love(『ミッドナイト・ラヴ』)をリリースする。ミュンヘンにてレコーディングがおこなわれ、シンセサイザーを大胆に使用した本作は発表と同時に評判を呼ぶと共に、シングルカットされたSexual Healing(「セクシャル・ヒーリング」)も全米シングルチャートの3位を記録するヒットとなり、翌年の1983年には当時、飛ぶ鳥をおとす勢いであったマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーを抑え、グラミー賞を受賞するなど健在振りを見せつけた。しかし、1984年の4月1日、自宅で父親と口論になり、逆上した父親が彼に対して発砲、マーヴィンはそのまま帰らぬ人となった。皮肉にも、その日は彼の45回目の誕生日の前日にして、マーヴィンがリスペクトしたR&Bシンガー、サム・クックと同じ亡くなり方でもあった。また父親が発砲した銃は、生前彼がプレゼントしたものであった。
