我がいとしの阪神タイガースが、ナゴヤドームで2連敗・・・・ホンと鬼門だァ

これでとうとう優勝に赤信号が灯ってしまった。涙

もうこれ以上、阪神のネタになると愚痴だけになるので終わり。


今日は休みだったので、ピクの釣り三昧だった。

レベル22UPアップ

でも、まだまだ力不足なので初級者コースをピンク竿&おきあみで廻りレベル上げに徹する予定。

そして、今日新しく出来たニューヨークへ行って来て写真を獲ったので載せます^-^


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今夜は十五夜なので、明日阪神が勝てるようにみんなで祈りましょう!!

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今日の1曲音譜


ABBA(1972-1982) - Dancing Queen(1976)


世界的なヒット曲で知られるスウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。 1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれる。
グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの。元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーのStig Anderssonが何かの書類に彼らの名前を記入する際に適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。ビョルン、ベニーが曲を作り、アグネッタ、フリーダが歌う(一部、ビョルンが歌っているものもある)。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974優勝をきっかけに「恋のウォータールー(Waterloo)」の大ヒットでヨーロッパ中で名前が売れたが、最初は「one hit wonder (一発屋)」だと思われていた。ABBAがヨーロッパでの人気を確立するのは、「SOS」がイギリスを含む全ヨーロッパで大ヒットし、一発屋の汚名を返上してからである。またオーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域で、後述の「ダンシング・クイーン」がヒットするまで「世界で一番熱心なABBAマニアはオーストラリア」と言われていた。
1976年に「ダンシング・クイーン」が英米を含む全世界的にヒットし、その後「ザッツ・ミー」、「テイク・ア・チャンス」「きらめきの序曲」、「チキチータ」、「ザ・ウィナー」など活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発した。

また、「ヴーレ・ヴー」、「ギミー!ギミー!ギミー!」などのヒット曲でヨーロピアン・ディスコ・ミュージックを確立し、70年代後半のヨーロッパでは、ABBAの大成功に刺激されたニュートンファミリー、アラベスク、ドゥーリーズ、ノーランズ、ジンギスカンなど所謂“キャンディポップ”(日本だけの造語であり、和製英語)と言われるヨーロピアン・ディスコのフォロワーを大勢産み出した。

グループが活躍していた当時、アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは夫婦で、ファミリーチームとしての親しみやすさ、安心感から「健全なアーティスト」のイメージが定着し、彼らの世界進出に一役買った。

アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚(それぞれ1979年と1981年)。グループは1982年、新曲として6曲を録音。年末に「最後のTV出演」を果たす。そして1983年、活動を突然停止。事実上解散に。

解散から約10年後の1992年、イレイジャーという英国のグループによって発表された"アバエスク"("ABBA-ESQUE"、"ABBA"と"ESQUE(~風)"を引っ掛けた合成語、ABBA楽曲の全面的なカヴァー盤)が火付け役、嚆矢となったリバイバルブーム、再評価の動きが起きた。さらに、ベスト盤 ABBA GOLD が1992年に全英NO.1を獲得、その後も売れ続け、1999年までに世界累計で2500万枚を売上げて衰えぬ人気を見せつけた。またABBAの代表曲を網羅したミュージカル『マンマ・ミーア! 』は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続けており、日本では劇団四季が四季版『マンマ・ミーア!』を上演していたが2009年2月28日遂に千秋楽を迎えた(暫く休止。但し、この作品は2008年にはハリウッド映画化もされ、日本でも2009年1月30日に公開されたが、同年6月4日をもって上映は完了した)。

自らの曲を、第三者によるサンプリングに使用許諾しない事は有名。しかし、マドンナには、2005年に『ハング・アップ』で「ギミー!ギミー!ギミー!」のサンプリング許可を与えている。

2009年に、ロックの殿堂受賞者に推挙され、2010年3月15日に殿堂入りした。


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