今日、母子殺害事件の判決が出ました


弁護側は、上告をするとのこと・・・


まぁ、「弁護」という立場なんだから


当然なんでしょう・・・・・


おいらの個人的な意見だけど


「当然の判決」・・・と思いました


正直な気持ちです


たったひと時の己の欲望の為に


人の命を奪う・・・・


事情はどうであれ


決して許されないこと・・・だと思う


来年から、「裁判員制度」が始まる


無作為に選ばれた人々が罪の量刑を決める


いろいろな物議を呼んでいるこの制度


数々の捜査資料を基に


裁判官一名同席のもと、人を裁く


最後は多数決・・・


「感情的な量刑が出やすい」


「法の知識の全くない者が、人を裁いて良いのか」


などなど、知識人や法の知識を持った人々は言う


だけど、僕は思う


そもそも、「法」はなぜ生まれたのか・・・


被害にあっても何も出来ない弱者を救うため?


じゃ、そのときには「感情的」なものはあったんじゃないのか?


だから、「法」が生まれたんじゃないのか?


「法」は、誰のために存在するのか・・・


被害者?加害者?弱者?


被害者と加害者の違いは??


弱者ってどういう人のことを言うの??


戦後間もなく、GHQの監修のもと定められた


現在の法律・・・


あれから何年が過ぎようとしているのか・・・


なぜ、今更「裁判員制度」などが設けられるのか


必要なものなら、もっと早い時期に設置されるべきじゃなかったのか


「犯罪が多様化しているから・・・」


「少しでも民意を反映させたいから・・・」


いろんな理由があるんだろう


じゃぁ、それを決める大元の「法」がなぜ変わらないのか


僕は、「交通事故遺族」の一人です


犯人はまだつかまっていない


20年が過ぎた・・・


でも、祭壇の写真は時が止まっている


僕のような人々や「犯罪被害者遺族」の人々が


裁判員として選出されるときもある


その人たちに「感情的にならないで」って


誰が言えるか


弁護士の方の家族が、もしも


言われなき犯罪の被害にあったとき


そして、彼らがその犯人の弁護を行うことになったとき


彼らは、本当に冷静に対処できるのだろうか


目の前に犯人がいる


その犯人を自分自身が弁護する


彼らは本当に最後まで「法」を


貫き通すことが出来るのだろうか・・・


「人が人を裁く」


人は感情の生き物


そこから、感情を抜き取ったら


あとに何が残るのだろう・・・


「法」は、人が定めた・・・感情の生き物の人が・・・


じゃぁ、「法」そのものが感情で出来ているんじゃないのか


・・・・・


来年以降


僕に、召集がかかったとき


僕はどうするのだろうか・・・・・


冷静に罪を決めることが出来るだろうか・・・


「裁判員制度」


いったい、誰の為につくられたのだろうか


・・・・・