Tから久しぶりに電話があった
「旨いものでも食べに行こう 奢るからさ」
Tは決して「飲みに行こう」とは言わない
いつも前後不覚になるほど酔いつぶれるくせに
誘うときには爽やかすぎる口調で「ご飯」を強調する
また溺れたのだろうか・・
初めて会ったときTは妻と離婚した直後で
自称「不幸のどん底」にいた
初対面なのに
そこまで内面を吐露していいものなのか と
戸惑う私の顔なんて気にかけることもなく
別れた妻への未練を口にするのだった
そんなに愛していたのなら
どうして自ら離婚を言い出したのかと問う私に
愛しすぎて愛おしすぎて
別れなければ自分が壊れていたと 苦しそうな表情で呟くT
男の人が泣く姿など見たことのない私には
Tのひたむきな愛情は新鮮で驚きだった
そして ひとりの男にそこまで愛された見知らぬ妻に軽く嫉妬をする
私はかつてここまで愛されたことが一度でもあったのだろうか
相手にとってはいつだって仕事や友だちや家族や
他の様々な大切なものたちが1番であって
私が2番なのは仕方ないことなんだって諦めてた
というより 溺愛なんてありえないことだと
Tに会うまでずっとそう信じてきてた
Tを見ていると
「すべてが愛する人のためにある」 という言葉が
心の中からの真実なんだと思い知らされる
「キミのすべてが欲しいんだよ
他にはなにもいらない
ただ愛したいだけなんだよ」
こんなことを言われて 女は重荷になるんだろうか
Tと知り合って10余年
溺れるのはいつもTだけで
泣くのはいつもTだけ
だまって話を聞いてる私は
深い深い海の底で自分の流す涙で溺れるTを夢想する
その都度聞かされる女の名前は毎回違うのだけど
私が覚えてしまうほど何度も口にする
どれだけ愛していたか
どれだけ魅力的だったか
何度も聞かされ
言葉が小さな棘となってチクリチクリと心に刺さる
見知らぬ女を思い浮かべれば
その美しい姿が脳裏をかすめる
私は何年友だちでいても
決してTの溺愛の相手にはならないんだと
残酷な事実に心がヒリヒリと焼け付く
Tと飲むと私は酔わない
静かに燻る嫉妬の炎を鎮めようと
水を注ぐようにグラスを傾けるのだけど
口の中に苦い味が残るだけで炎は一向に消えてくれない
またひとり新しい女の名前が記憶に残るだけだけだとわかっているのに
「旨いもの食べに行こう」の電話に心が踊る私は
気づかぬうちに浅瀬で溺れてしまっている愚か者なのかもしれない