どうして思い通りにいかないのか
と考えてみる
世間の常識の範囲内に収まっているのなら
それでOKなのか
いくら言葉で「安定」を願っても
実は私自身が
いつだってはみ出したいと思っていて
それが伝わるのだと 言う
私が夢見て
諦めてしまってきたことを
今 子どもたちがしようとしている
諦めたことを後悔なんてしていない
今が幸せだから
安定を選んだ自分
これが私の幸せ
だからといって
子どもにも同じ道を歩かせることを望むのは
私が今の幸せしか知らないから
いや
幸せだと思い込もうとしているだけで
本当は違うということもわかっている
もっと違う人生があったんじゃないかって
いつもいつも心のどこかにあるから
「こことは違う世界」への憧れがあるのだと思う
私にとって
「安定」とは妥協することなのだから
それは今だって同じ
妥協して
諦めて
望まないで
かろうじて保っている薄弱とした「安定」
つまんないはずだよね
つまらない人生を送るくらいなら
妥協なんてしなくていい とも思う
「普通」ってなんだろう
他人から見る幸せと
自分自身が感じる幸せは
全く違うのだということはわかっている
似た感覚の相手へ
投げかけた言葉に
返ってくる言葉は
鏡に映った自分を見ているよう
いくら望んだって
それが真実
ありのままを受け入れるしかないのでしょうね