「やられたら3倍にして返せ」
そう教えられて育った

小さい頃から親に叩き込まれて、それは法律なんだとさえ思っていた

目には目を
歯には歯を

元々は「目(歯)は目以上の仕返しはダメ。やられた以上にやるのはダメ」という意味

それが今では
「殺されたら殺せ」に使われる

そして死刑推奨を謳う

「死刑になって良かったね」…?

「死ね」「死ね」と謳う
人が死ぬことを喜ぶ

それが正しい世の中らしい

そんなに死刑に賛成することが正しいと言うなら

死刑は存続すべきと言うなら

私の中の法律では
「殺されたら3倍にして殺せ」

人を苦しめて苦しめて死なせた人を、執行官が簡単に殺していいのか

死刑反対意見の人が厳罰を望んでないわけではない

せめて3倍の生き地獄を知った後に死んでほしい

そして制裁に加え、更正の意味合いを残すならば、

誰かの役に立ってから死んでほしい

例えば臓器移植

脳死を待たずして新鮮な臓器が手に入る

例えば地雷撤去

地雷が埋まってるであろう区域を歩かせる
足が一本消えれば、罪のない子の足が誤って消えてしまう可能性が一つ減る
命を絶てと言うくらいだから足が消えてもいいじゃない


死刑制度の存在…

死んでいい命
死ぬべき命

そんな命が存在する社会

大切な人に「死にたい」と言われた時

「この世に死ぬべき命なんてないんだよ」

死刑制度賛成の人が恥ずかしげもなく言う


感情は流されやすい
基準なんてない

世の中二重、三重…無数の基準で成り立ってる

それでいい?
それでいいらしい

結局、目の前に起こる事象以外たいして興味もなく

悪いことをしたバイキンマンをアンパンマンが倒すのを応援してるくらいに思ってる

人が死んでも
明日は来る
地球は回る

何も変わらない