先の見えない暗闇に陥った時…
人はしばしば、
無意味に敏感になり、
極端な思考に陥り、
見えるはずのモノも見えなくなる。
見ようともしなくなる。
見ないでおこうと思う。
歪んだ感性の、視野の狭い、一方的な受け手となる…。
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――「子どもはまだ?」
この言葉は当然痛かった。直球でくらう。
当時痛かった些細な言葉。
――「あまり思い詰めない方がいい」
“考えること”より“考えないこと”の方がはるかに難しいこと…
知っているだろうか。
考えてしまう人に「考えるな」と言ったところで、“考えないこと”を考えてしまう。
――「まだ1年目」「まだ若い」「何年も悩んでる人もいるのに」
私みたいな者は、不妊の悩みを知らない人達にはもちろん、不妊で悩む人達にさえ属せない?
考えることさえ許されない?
悩むことさえおこがましい?
“結果的に”、私達夫婦は子どもを授かることが出来た。本当に本当に感謝が尽きない。
確かに考えない環境を作ったのが良かったのかもしれない。
確かに若かったのも幸いしたのかもしれない。
しかし、この結果だけ見て
「ほら、考えないことがいいと言ったじゃないか」
「ほら、やはり若いから大丈夫だったじゃないか」
とは言えないと思うのだ。
当時は無限の暗闇に思えた。このトンネルから抜け出したいとどれだけ思ったことか。
思い詰めず、可能性への挑戦を断つことが「真」で、
悩み苦しみ、色んな可能性に挑戦することが「偽」だとは、到底思えない。
可能性、可能性と言うと、こんな些細な言葉が待ち受けていることも。
――「妊娠には確率なんてない。0か100。」
確かにそう思わなくもないが、本当に0か100とキッパリ言い切れるものだろうか。
自然妊娠を待つより、高度治療をした方が確率が上がるとは本当に思わないか?
少し人工的に手助けすることで、少しでも、ほんの少しでも可能性が上がるなら、高度不妊治療に賭けてみたい…
そう考えてはいけないだろうか。
専門的な医学の知識は持ち合わせていない。
専門医に自然妊娠は期待出来ないと言われたら?
不妊治療を勧められたら?
――「そんな状況でもサックリ妊娠した人いるよ。」
皆に当てはまるわけではない例を挙げられること。それで余計に窮地に陥る場合もある。
稀なケースで自然妊娠した例を挙げられても、自分がその幸運に巡り会えるかなど分からない。
稀な幸運を見て希望の光ととらえるか、夢物語だと腹を立てるか…
その時々の精神状態によって、大きく変わる。
悩み、願い、
積極的に子どもを望むこと。
心から応援したい。
不妊治療に挑戦している人、自然妊娠を目指している人関わらず、悩みは皆同じ。
心から応援したい。
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悲しみも苦しみも何もかも
分け合えばいいんじゃないなんて
簡単に言うけどね
そんなこと出来るならやってる
And then by ayumi hamasaki