“子どもが欲しい”

夫婦の願いは一致している。

愛し合っているからこそ一致する願いのはず。

だから、子どものことで溝が出来るということだけは避けたかった。



愛する人に愛されただけで奇跡。
夫が隣にいるだけで奇跡。
夫の存在だけで奇跡。



それだけで満足なはず。




なのに人間は欲深い。
これ以上の奇跡を望んでしまう。




でもそれって悪いことかな。
貪欲に生きるって悪いことかな。



“願い”ってね、控え目に願ったからって叶うもんじゃない。
控え目に願っても、貪欲に願っても、叶う時は叶う。叶わない時は叶わない。


それなら自分の欲に正直に、貪欲に願ってもいいんじゃないかな。
願うだけ。願うだけなのに、誰に遠慮する必要もない。




願いは止めない。
止めようにも止まらない。



でも、大前提も忘れない。


私は夫と出会った奇跡に感謝してる。
誰より何より大事。




夫婦仲良くいること。
それが一番の願い。



まだ見ぬ我が子には申し訳ないけど、

一生子どもが授からないこと。
一生夫婦仲良く、最期まで添い遂げられることが保証されること。


どちらかしか選べないなら、
私は迷わず夫を選ぶだろう。



夫婦仲良くいたい。

そのためにも
「プレッシャーを与えない」

私は治療のことはもう言わない。




1度私達が決めたこと。


――不妊と分かっていても、自然妊娠を目指す!



治療することで夫が自分を否定されると感じるなら…

そう感じることが正しかろうが間違っていようが…


私は夫が一番大事だから。