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でびノート☆彡

映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

 

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』全世界的に賛否両論みたいですねー。
まあ前作『ジョーカー』も当初、『ダークナイト』みたいなのを期待した観客が「期待してたのと違った!」「駄作!」とか騒いでたので、まあ賛否両論は『ジョーカー』シリーズらしいって気もするのですがw。
 
ボク的には今作は、劇中でミュージカルの名曲がたくさん歌われて楽しかったし、あと脚本も緻密に練られていて良く出来ていたと思うのですが、うむむ・・・なんかドキドキできなかったんですよねー。

だって前作『ジョーカー』で観客は、もう最初から最後まで「え?この状況、大丈夫?」「え?この先どうなっちゃうの?」ってドキドキしっぱなしだったじゃないですか。ジェットコースターに乗せられっぱなしw。
だってとにかく前作のアーサーは場の空気読めなさ過ぎてw、ぜんぜんその場にふさわしくない行動しかとれないので(本人はふさわしく行動してるつもりw)・・・いったいこのシーンで何が起こるのか先がさっぱり予想が出来ない、ヤな予感しかしないので、観客はドキドキしっぱなしでした。
 
それがですよ。今作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ではアーサーがなんだか急に空気が読める男になっちゃっててw、そのせいでシーンの中で起きることがほぼ想定の範囲内なんですよねー。

ホアキンの演技が先バレしている・・・「予定調和」になってしまっているので、ドキドキしようがないのです。

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演技のマジックが起きる/起きない

たとえばキスシーン。
前作『ジョーカー』のアーサーとソフィーのキスシーンは本当にドキドキでした。
地下鉄で3人組を銃で撃ち殺してきたアーサーは、アパートに戻ってまっすぐソフィーの部屋の扉をノック、出てきたソフィーにいきなりキスをします。唐突にキスされたビックリ顔のソフィーはなんとアーサーの背中に手を回し、扉を閉めます・・・ワンカットワンシーン、いや~ドキドキw!
このシーン、アーサーがキスすることは予想できないし、ソフィーが背中に手を回すことも予想できないんですよ。キスする寸前に2人が見つめ合ったり、キスの気配を2人が全く演じていないので。
 
それが『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』でのキスシーンはどうか。
映画の上映会の火事の中でリーとアーサーがキスするんですが、火事で逃げ惑う人々の向こうでもう2人が思い切り見つめ合ってるんですよ。しかも逆光の灯りの中で・・・2人共もうキスする気まんまんの体勢で、「あ~キスするんだろうなー」と思ってると案の定そのままキスするわけですよ(笑)
ザッツ予定調和!・・・演出も!演技も!

サプライズが無いから、これ観客はドキドキしようがない・・・。
 
これがもしアーサーとリーの心の中に、キスしてしまうことに対する驚きがちょっとでもあって、そしてそれが2人の身体の距離感とシルエットに出ていれば、もっと観客もドキドキできたんだと思うのだけど。
 
それか例えば、キスシーンの手前の映画鑑賞シーンで、リーがアーサーの足に触れようとして止めるくだりがあったじゃないですか。あのくだりが無かったら、火事もキスも予想しづらくなっていたかもしれないですよねー。
そして逆光で向かい合って立った時に、火事を起こしたリーに対してアーサーが「なんで火事を?」とその意図を測りかねて困惑している芝居をしていたら、リーがアーサーにキスをした瞬間に「あ!リーは僕にキスをしたくて火事を起こしたのか!!!」という驚きをアーサーも、観客も感じることが出来たんじゃないかと思う。
 
これって本当にちょっとの違いなんですが、観客の心に働きかける作用は大きいんですよね。これぞ「演技のマジック」というものです。
そう前作『ジョーカー』の全シーンに溢れていたそんな「演技のマジック」が、今作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ではほとんど起きてないのです。

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「演技のマジック」とは観客を巻き込むこと。

「演技のマジック」が起きるって、画面上で俳優が素晴らしい演技をするってだけのことじゃないんですよ。それだけでは足りない。
そのシーンを見ることで観客が主人公と一緒にドキドキ浮足立ってしまうこと、観客がそのシーンに巻き込まれてしまう・・・これが「演技のマジック」が起きるという事なんですよね。
 
前作『ジョーカー』では地下鉄のシーンとかを思い出してもらうと分かりやすいのだけど、観客はさんざんアーサーと一緒に「地獄めぐり」をさせられていたんですよね・・・辛かった(笑)。
 
仕事を首になって失意のアーサーが地下鉄の中で女性が男3人組に襲われているのを見ている時に笑いの発作が出てしまう。アーサーをじろりと見る3人組・・・ドキドキドキ。 女性に逃げられた3人組がアーサーにからみ始める、アーサーの対処は全てが裏目裏目に出て、ついには暴力を振るわれるアーサー・・・。
ホアキンの芝居が観客をグイグイ巻き込んでくるので、観客はこの一連を傍観することが出来ないんですよ。観客も巻き込まれてアーサーと一緒につらい気持ちになっている・・・だから唐突にアーサーが発砲した時、驚くと同時にスカッとしたんです。アーサーが3人組を次々と追い詰めてゆく件では「ざまあみろ!」「もっとやれ!」とすら思ってしまう・・・完全に巻き込まれているんですよね。
 
ホアキンはどうやって観客をこんなにまで巻き込むことができるのか・・・それはホアキン自身がこのシーンで起きていることにただただ巻き込まれているからなんですね。

前作『ジョーカー』のホアキンはアーサーの心情を説明するような演技を一切しなんですよね。 アーサーの心情の説明みたいな芝居が画面上にあれば、観客は他人事としてそのシーンを見ることが出来るんです。
でもホアキンはそれをせずに、ただただ全身全霊でシーンに巻き込まれている・・・3人組にからまれている時に、観客は「キミたちを笑ってるんじゃない、病気なんだって言えばいいのに」「あのカードを見せたらいいのに」とか思うじゃないですか。画面上のアーサーもそれをやるんですよ。そうするとそれが裏目に出て3人組がもっと攻撃的になってゆく・・・「うわああ、じゃあどうすればいいの?」と思ったとき観客は傍観者の席から立ち上がって、完全にそのシーンに巻き込まれているんです。
いや、素晴らしい演技なんですよ。
 
これがね!『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』には無かったんですよね。
ホアキンがめちゃくちゃアーサーの心情を説明する表情の芝居をするので、観客は「へー」って彼のことを他人事として傍観できてしまうんです。
だからアーサーが裁判所で「もう我慢できな―い!」って叫んでも、観客はその我慢できない気持ちに巻き込まれていないので、ピンとこないんですよね。
だからアーサーがハンマーで裁判長の頭を思い切りぶん殴っても、前作『ジョーカー』でアーサーがマーレ―に発砲した時のような衝撃も、爽快感も感じないんですよね。
 
これはすべて「演技のマジックが起きたか/起きなかったか」の問題なのです。

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ミュージカルシーンにマジックは起きたか?

裁判所の大爆発のあと、フォロワーたちの車に乗せられたアーサーの芝居も、ずっと「ここは自分がいるべき場所じゃない」っていう心情を説明する表情芝居を長々としていて、さらにカーステレオから流れるビリー・ジョエルの歌の歌詞が「誤解しないで、誤解しないで」ってアーサーの心情を説明してるから、車から逃げ出した時も、びっくりできなかったんですよね・・・。
 
いやホアキンも、ガガ様も芝居はビックリするくらい上手いんですよ。でも『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』はマジックが起きずに、観客の心をかき乱さない作品になってしまったのです。残念。
 
そして「歌」にもマジックは起きませんでしたね!
歌がドーン!と物語をさらってゆく・・・みたいな瞬間がミュージカル映画には普通あるもんなんですが・・・無かった。

ガガ様がハーレークインを演じると聞いて期待してたし、楽曲も名曲揃いだったんだけどなあ。
あれは「わざと下手に歌った」のが敗因だと思いますね。トッド・フィリップス監督は「リーの孤独な魂を表現するためだ」とかインタビューで語ってましたが・・・それも説明なんだよなあw。
 
あまり知られてないかもだけど、じつはガガ様が今回の『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』で歌ったミュージカルの名曲たちをちゃんと見事なパフォーマンスで歌い直したアルバムを、映画公開に合わせてリリースしてるんですよね。こちらはなかなか楽しめます。 しかしもしかして、これってガガ様からフィリップス監督への返答なのでは?とか、ボクは思ってしまうのです・・・w。
 
でも皆さんへの一番のオススメは、サブスクで前作『ジョーカー』を見直すことです。ボクも『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を観て帰ってすぐに見直しましたが、とにかくドキドキできます。マジックに次ぐマジックですよ。
 
小林でび <でびノート☆彡>

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(このシーン無かったねw)