進化し続けるアメコミ演技☆ | でびノート☆彡

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映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

『アベンジャーズ:インフィニティー・ウォー』見ましたよ。

画面いっぱいにマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)の無数のヒーロー達が・・・あれ全部で何十人いたんでしょう?(笑)楽しかった。

 

しかしあれだけの人数がゴチャゴチャ戦ってても、ちゃんと見わけられるのが凄い。いやコスチュームデザイン的には似たり寄ったりなんですよ。そうそう、今回驚いたのはアイアンマンのスーツがスパイダーマンみたいな全身タイツ(笑)になってたこと!だからシルエットも色も似てるし・・・それが猛スピードで戦ってるんだから画面上で見分けつかないんじゃないかと心配したんだけど・・・大丈夫でした。スパイダーマンはスパイダーマン、アイアンマンはアイアンマン、完全に別人に見えました。

 

なぜMCUのヒーロー達はあんなに似てても、キャラかぶりして見えないんでしょうか?

それはMCUのヒーロー達がいまいちヒーローっぽい立ち姿をしていないことと関係があるとボクは思うんです。下の写真を見ていただければわかると思うんですが、基本いろんなおっさんが自然に立ってる感じじゃないですか(笑)

そう、MCUのヒーロー達ってこういう「敵が現れた!」みたいな時にヒーローっぽいポーズで個性を出そうとしないこと多いんですよ。意外とチーム感出さずにもっと自然にそれぞれの状態で立ってるんです。これは何故なのか?

 

今回はマーベルとDCの違いを、演技法の違いから語ってみたいと思います。

 

 

かつて20世紀のアメコミヒーローって、キャラを見分けやすいように立ちポーズや決めポーズ、動作で個性を出してました。

リーダータイプ、アウトロー、頭脳キャラ、野獣キャラ、セクシーキャラ、etc.etc.・・・でもポーズや動作が違っていても基本は、みんな胸を張って颯爽とした、いわゆる「ヒーローっぽい演技」なんです。

このタイプ別に分類する演技法はいわゆる「キャラクター演技」というやつで1980〜1990年代の映画界を席巻した演技法です。人物像をどんどんデフォルメして描写してゆくタイプの演技法なので、架空のヒーローとか荒唐無稽な人物を演じるには絶好の演技法なんですね。

この時代のアメコミ映画にはヒーローも含めてデフォルメされたキャラクターたちが溢れていました。

 

 

1990年代の映画『バットマン』シリーズまでのヒーローたちは基本この「キャラクター演技」で演じられていました。

将棋の駒みたいにあらかじめキャラの性質を決めてしまって、それに従って行動するという方法で演じられるので、バットマンはバットマンの個性、ジョーカーはジョーカーの個性、ペンギンはペンギンの個性に従って、キャットウーマンはキャットウーマンの「個性の一貫性」に従って、喋ったり戦ったりラブシーンを演じたりしてます。 

 

ヒーローや怪人だけでなく、バットマンの素顔=ブルース・ウェインの演技もデフォルメされています。

例えば『バットマン(1989)』のマイケル・キートンが何かを見る演技をする時、ブルース・ウェインらしさ溢れる首と目の動きでダンディに見ますw。意味ありげに目を細めてみたり…「気づいたぞ」とばかりに目を剥いてみたりw。1990年代当時はそれがカッコよかったんです。

 

 

それに対して21世紀の『ダークナイト(2008)』シリーズや最近のDC映画のヒーローたちの演技は2000年前後に流行っただいたい「ドキュメンタリータッチ」の演技法で演じられています。

この演技法は、80~90年代に流行った「キャラクター演技」のキャラ説明的動作や大げさな表現に対するカウンターで、「説明的動作やわざとらしさを排除したリアルな演技をしよう!そう、ドキュメンタリー映画の登場人物みたいに!」というコンセプトの演技法です。

 

例えばクリスチャン・ベールとベン・アフレック演じるバットマンが何かを見る時の演技は「ボンヤリとそっちに視線をやるだけ」のリアルっぽい演技です。感慨深い表情で…何かを考えてはいるんだろうけど具体的に何を考えてるのかは伝わって来ない。そこは観客ひとりひとりが自由に考えて欲しい…というカッコいい表情。

 

 

この「ドキュメンタリータッチ」は2000年前後によく見かけました。

基本的に「地味にふるまう事=ドキュメンタリーっぽい=リアル」という考え方で、「何もせずにただそこに存在する」ことを目指して当時はみんな演じていました。

トム・クルーズが『宇宙戦争(2005)』とかでやってたあの顔ですねw。「無で演じていれば、感情は観客が勝手に想像してくれるかも」を期待して表情を「無」にして演じています。

 

 

うん、たしかに雰囲気あってカッコいいかも。リアルな気もする。でも・・・ボンヤリしてる・・・あれ?これって本当にリアル?現実の人間ってこんなにボンヤリしてたっけ?

 

そんな疑問に対する彼らなりの回答をしたのが、2008年の『アイアンマン(2008)』のロバート・ダウニー・Jrと『ダークナイト(2008)』のヒース・レジャーの新しい演技です。

ロバート・ダウニー・Jr演じるトニー・スタークが何かを見る時の演技は、彼が見ているその対象を「ガン見している!ガン見してるだけでなく興味深く観察すらしている!そして発見した個々の事象に対して何らかの感想を感じている!」という演技。

ヒース・レジャー演じるジョーカーが何かを見る演技をする時は、彼が見ているその対象を「舐めまわすようにハッキリと見ている。そして何かを発見して喜んでいる」という演技・・・この2人の演技はほぼ同じ演技法です。彼らはなぜかほぼ同時にこの新しい演技法をモノにしました。

 

「21世紀の演技法」の登場です。この彼らの演技法は「ドキュメンタリータッチ」と同じように説明的な演技や大げさな演技を排しながら、しかもボンヤリしたくない(笑)。じゃあどうするかというと・・・コミュニケーションです。相手としっかりとしたコミュニケーションを取って、そこから生まれる自然なリアクションを見せることでキャラクター性を観客に伝える、という方法です。

 

当時ロバート・ダウニー・Jrはキャリア的に崖っぷちで起死回生の一発だったので必死だったし、ヒースレジャーはジョーカーに入り込み過ぎて不眠症になり急性薬物中毒で急死・・・まさに命懸けで掴んだ新しい演技法でした。それはもはや「ヒーロー演技」ではなく、もっともっとリアルで、活き活きしていて、そして驚くほど親しみやすい表現方法だったんです。

 

 

このロバート・ダウニー・Jrの新しい演技法は、『アイアンマン(2008)』の大成功によって「ヒーローを現代的に生々しく・活き活きと表現する新しいアメコミ演技」としてMCU映画の続く作品群に継承されてゆきます。

それはさらに進化して、たとえば『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)』で登場人物たちが物凄い複雑なキャラクター同士の激しいボケ・ツッコミの応酬をしながらシリアスなドラマを盛り上げていったり、『デッドプール(2016)』みたいな複雑怪奇な心理構造を持ったキャラをポップに演じたり…みたいな離れ技的な画期的な成果を上げてゆきます。

 

ヒース・レジャーは『ダークナイト(2008)』撮影後に亡くなってしまったので、残念ながら彼の演技法はDC映画に継承されることなく一代限りで消えました。次回作『ダークナイト・ライジング(2012)』では全てのキャラクターが「ドキュメンタリータッチ」もしくは「キャラクター演技」に戻ってしまっていたんです。

 

つまり、MCUのヒーロー達は「21世紀のコミュニケーション演技」で演じられ、DCのヒーロー達は「ドキュメンタリータッチ」で演じられているのです。

どちらもリアリティを重視する演技法なんですが、MCUのがキャラ同士の影響の相乗効果で活き活きとしてゆくのに対して、DCのは基本地味なひとり芝居なので演技が暗く重くなっていきがちなんですね。

・・・DC映画が暗いのは演技法のせいもあるとボクは思うんですよ。『ジャスティス・リーグ(2017)』とかは脚本上じつはユーモラスなシーンとかもあるんだけど、キャラ同士のコミュニケーションがMCUみたいに活き活き成立してないので印象が重たいんですよ。

ヒース・レジャーのジョーカーがあれだけ衝撃的でリアルで存在感あったのに、暗くも重くもなかったことを彼らに思い出して欲しいです。。。

 

 

というわけで最近のアメコミ映画についていろいろ書きましたが、最後にネタバレにならない範囲で『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー(2018)』の感想を、演技がらみで・・・映画は充分楽しんだんですが、2つだけ気になった点がありました。

 

1つめは、冒頭のトニー・スタークとペッパー・ポッツの公園での会話シーン。

『アイアンマン(2008)』で素晴らしかったのは、彼ら2人のやり取りが言葉以外のコミュニケーションがすごく豊富で濃密だったこと。言葉上ではそっけなくてもお互いを必要としていることが熱く伝わってきたのが素敵だった。

それが今回無かったんです。すべてが言葉にされていて、言葉以外のコミュニケーションが貧弱だったんです。わかりやすさを選んだんですかねえ・・・。

2つめは、サノスの「全宇宙の生命体の半分を消し去ることで世界を救済するのだ!」という極端な考え方に対して、アベンジャーズの誰も具体的な反応も反論もせずに、ただただ武力だけで対抗しようとしたところ。

そこはちゃんと敵とコミュニケーションして葛藤して欲しかった。トニー・スタークなんかサノスの考えに理論上では同意しかねないですからね(笑)

 

でもラストはトニー・スタークとスパイダーマンのくだりで泣きました。あのロバート・ダウニー・Jrの演技は凄かった。あんな表情を彼が見せるだなんて・・・。

 

…といった風に進化してきたアメコミ演技の歴史、来月は『デッドプール2』も公開されるし、まだまだ更新されるかもしれません。目が離せませんね!