絶望が教えてくれること
こないだ
昨年、一緒にガーナにスタディツアーに行ったケンタくんとみずきちゃんとひさしぶりの再開
2人は大学生
ケンタくんはあれからアメリカへ留学し、昨年と今年、自分の関心事を自分事にすべくヨルダンに行き、ヨルダン内にあるシリアの難民キャンプに行き始めました
難民キャンプは僕ら誰もが知ってる
しかし、そこにおける人間の生活感は誰も知らない
そこに至る一人ひとりの物語も知らない
彼はそれを伝えてくれる
2回目の渡航で今度はみずきちゃんがケンタくんと一緒にヨルダンへ行きました
彼女は国内外問わずあらゆる社会問題に深い関心を抱いていて、その行動力から将来的に自分はどんなかたちで関わるべきかを経験を元に考えながらもがいている
2人ともアクションを通して真剣に自分の人生と向き合っている
なかなか出来る事ではないが、自分が何に関心を持っているのかに気づく事も至難である
伝えたい事は輝いてる彼らも
他の同世代と同じように将来に不安を抱えながら生きている
勇気を振り絞って踏み出してみてる
何かやってみろ
行動してみろ
大人は思うが
実際、行動の先にはいろんな意味で絶望感が広がっている
夢が大きければ大きいほど現実は絶望的なのかもしれない
だけど、絶望とのめぐり逢いが本当の始まりだという人生の見方ができるのではないだろうか
選択を決断と捉えるのか
選択を
より明確なビジョンや自分とめぐり合うための重ねていくべきプロセスと捉えるか
選択はピントを合わせる作業なのかもしれない
あらゆる選択を通して少しずつピントが合い
明確な何かが少しずつ見つかっていく
彼らの1つの問題の捉え方、イメージする関わり方のちょっとした違いがとても印象深く
個人的に大きな学びになりました
彼らが社会に出た時に
こういった問題と関わる時
新しいビジョンとニーズを元に
そして新しい活動のかたちを見出している未来を発見できる事を願ってます
多くの大人が当たり前と感じてる、彼らにとって絶望と認識してる事は
苦しみでもあり
新しい世界への道しるべでもある