ガーナ/奴隷貿易/闇から光を見出すために
ケープコーストの翌日、
同じく奴隷貿易の拠点となった
エルミナキャッスルへ
ここに沢山の人が
奴隷としてほとんど横になることもできないくらい収容されていました
1482年、エルミナはポルトガル人によって建てられた
はじめは少数のアフリカ人を拉致して、連れ帰ったことから始まった。
中南米植民地開発のとき、白人たちは暑さや病気に侵されて困っていると、「暑さや伝染病に強い」とすすめる輩の一言があり、ここガーナで奴隷狩りが始まった。
当時の白人たちは、ガーナの部族間対立を利用し、ガーナ人がガーナ人を狩るように仕向けた。
強かった部族を“Slave Catcher”と呼ばせ、奴隷狩りを進めた。
“Slave Catcher”には「武器」が与えられ、その加速度は増す。
最も強くなったのがアシャンティ族だった。
ヨーロッパから武器や衣類等がアフリカへ入り、
アフリカから中南米へ奴隷を輸出、中南米からヨーロッパへ砂糖や綿花が輸出された。
いわゆる「三角貿易」。
しかし同じ状況は永遠に続くことはなく、
アシャンティ族とイギリスの戦いによってガーナはイギリスの植民地となり、その後アメリカ南北戦争の末奴隷制度は廃止。
ガーナも独立の道をたどる。
3人に1人は餓死や病気で死に、女性は性の奴隷の対象ともなった。
この広場に出てきたところを見下ろす形で物色された
反抗した奴隷を入れた
一度入ると二度と扉は開かれない
人類の歴史を見ると、己の利益を貪ることほど醜い展開を招くものはない。
天地自然の恩恵を受けて誕生した人の尊さを忘れ、目先の煩悩、地位や名誉やお金を得るための人生は、知らず知らずのうちに天の道を外れる。
その結果、自らの首を絞めることになることも知らず。
まだまだ人類の歴史は成長の過程にあるといっていい。
この悲しく悲惨な歴史から、どれだけ人は学べるのか。
たとえ進化のスピードがどんなに遅くとも、必ずやこれを人類の平和と真の発展のために活かさなくてはならないと思う。
その舵はいまこの時代に生きる、自分たち一人一人の手にかかっていることは間違いない。














