向き合うということ | DavidオフィシャルブログPowered by Ameba

向き合うということ

なかなか寝付けなくて考え事をしていて


終いに散歩に出た…


もう時差ボケは通用しないが

完全に時間が壊れてる


相変わらず身体の調子はいまいちだが


欲は出てきた


昨年の9月に弟をガーナへ連れて行こうと話したら

「怖いし今は大学が大変だから今度にする」とあっけなくふられた笑


思い出しながら

さらに過去の自分が初めてガーナへ帰った時を思い出してみた


不安で仕方なく


空港に迎えがくるかも分からず


ビビりまくっていた笑


今でこそ弟を笑えるけど


当時の自分はそれは同じくらいビビっていた


嫌なことは避けたいものだ


そこに向き合うために費やすエネルギーは半端じゃない

でもそこから得られるものは計り知れないし


人が成長する成分がたっくさん詰まってる


この1年は認めたくないが


ほとんどの事に臆病になっていた

原因はわかっているが

認めたくなかったし

向き合う力が足りなかった


3月にガーナへ行った際に

自分と向き合う事を決めていた



ガーナでの活動もいろんな意味で過酷だが


自分とゆっくり向き合えるのはガーナしかない


日本では幸せな事でもあるが


1日に100通以上のメッセージが仕事や企画、イベント事、友達からやってくる

それ意外にもやはり多くの事に追われてて


今現在でもついていけてない…


ガーナはやることが明確


だから自分とも向き合いやすいし


メールが届くことはない


届いていたとしてもWi-Fiのあるホテルに行かなければ見れることがない


高校時代にサッカーをやっていた時は上手くなるために

自分の良さと苦手な面と向き合い日々を過ごしていた


人はやはり明確な時に成長するしスピードが増す


迷いはまるでぜい肉でそぎ落とすのも一苦労


そして


多くの場合


それは経験と記憶というかたちで


2度と落ちることのない脂肪へと変貌することも少なくはない


さて


ここで考えてみます


明確にするためには


どうすれば良いのか…


大人になると


一握りの人以外は

好きな事では食べていけない


資本主義の世界でさらにご近所付き合いの薄い東京砂漠では

誰も助けてくれない


あれもこれもとやってるうちに


いろんなことに巻き込まれ?

刺激だと勘違いし

いつの間にか大切な時間が消えていく


難しい事に


「ムダな事なんてない」っていう名言を

まわりの人が早くつまらない話しを終えるために差し込んでくるものだから

話しはそこでお終い

善人はさらにその美しいお言葉を見事に信じる


辛いときほど人に頼りたくなるものだが


そういう時こそ自分と向き合うべきなんだ


最近ガーナで思い出したんだけど

本当にそう


ただ、辛いときほど自分と向き合えないし

酒やタバコ、他にいろんな誘惑に逃げたくなる


そして、それがかっこいいっていう教科書をテレビを通して学んでしまったものだから

そんな自分にはたまた酔ってしまう


辛いときに向き合うためにもやはり


持つものを少なく保つ準備が必要


どこかで余裕の貯金が必要


ゆとりがないと


やっぱりいろんな体力が持たない


ただ1度走り出すと


あとはどこまで無理が出来るか…

無理をするためにも自分の体調管理が運命を左右してくる


早く走り出すところに行きたい


でももっと我慢が必要


我慢ができるように



今の自分に絶対に必要なわけじゃないものから


そっと離れる必要がある



それがガーナの満天の星空を車で駆け抜けて行くときに気づいた


大人の責任だった



2ヶ月前と比べて笑顔が減ったし


声のトーンが低くなった


ひとは暗くなったというが


心はむしろおどっている


行動が意思になり

魂と身体が対話をしている


あとは体調を整えることだ




おやすみ