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「頑張る」という言葉の意味

先日一人の友人と頑張るという言葉について

話し合うことになった




考えさせられる事であったので

そこで仕事から帰ってきた僕は寝る時間を惜しみ

「頑張る」という言葉について

考え、調べ、模索し、この日記を書くことに至りました。



「頑張る」





近代の若者が嫌うこの言葉の意味・・・ それは

「あることを成し遂げようと困難に耐え努力する」


調べたけれど、僕なんかはあまりよくわからいないです。

どんな時に使うのかな・・・

与える方はプラスを相手に投げかけようとしている

となると人がプラスに向かえるために使うものだという事になります


辛く折れかけている時に

心がマイナスに向かっている時に

他人は自分にこのプラスの言葉をかけようとしているのに・・



じゃあ、どうしてこんなためになる事を

今の時代の僕らこの言葉を毛嫌いするのか

それは「言われなくても頑張ってるよ」という

「頑張れっていうのは簡単だよ」という心境の通過。

 などなどもろもろあります。


僕らは人の気持ちを本当にわかってるのだろうか?

考えてあげてるのだろうか?

それは自分にその言葉を投げかけてくれた人に対しての事だ。


きっと「頑張れ」って言葉が自分の弱いところが見られて

嫌がってるのか

ただ単にむかつくのか


人それぞれ



僕が納得する理由がきっと


たくさんあり、僕もそう思うときもあるのかもしれません。



正直

僕は実は・・・

「頑張る」という言葉が大好きなのです

みなさんご存知の通り、元々サッカーをやっていて



入学時、部員一学年60人以上


しかし引退する頃、一学年の部員数は15人ほど。


しかも監督は辞めさせるために一年時は走らせると断言するのだ


毎日、倒れる




今日も倒れて






明日も倒れる




それは多少の慣れが出てきても3年間毎日死と直面する。

「もうダメだ!!」

その時に耳に響く「頑張れ」の言葉に何度救われたか。

何度感謝したか

なんど「こんなに走っても無意味だ!!」

と怒っても、辞めたくても、自分を3年間支えてきたもの

それは「頑張れ」の一言に尽きる。



互いを励まし続けてきた仲間は乗り越えるべき困難に


みんなで戦う


昔から思っていた。

他人であるあなたにさえも、頑張ってほしいという想い を



言葉にして伝える事をしたがらない



日本の民族性を言葉にして伝える日常的な

愛溢れる言葉なのである。

つまりは無償の愛なのです☆




ただ、この愛溢れる言葉を今の僕らは軽い気持ちで伝えたり

受け止めたりしている

というのが問題である。


日本語っていうのは本当に深い

日本人として生まれたからには、この深き抑揚に溢れた

言葉をせめて基本的な範囲を知り、

友人と分かち合い、共有しあうという定めを受けていて

それを全うしなければならない。



日本語を素晴らしさの一つは、思いやりとは無関係の語に

愛を含ませる事ができるという

芸術性を兼ね備えた世界でもトップのアーティカル・ランゲッジ
(artical language)

だと思います。


言葉だけには限らず

いかに理解するか

いかにプラスに向かわせていくのか

それで人生というのはきっと

もっと豊かになると思います。

何事も感謝する事が大事だと



日々感じます。




できる事なら、人の優しさを素直に受け止められる人に

なりたいと思うわけです。

だけれど、僕もまだまだ、そこまで


辿りつけずにいます。


そこは日々勉強です。


今日も頑張りましょう。


少なくても僕は、心を込めてこの言葉を伝えさせていただきます。